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兄弟やいとこと出会い一周忌に実感する父の死


 父の一周忌のため、東北にある実家に帰省した。父が93歳で他界した昨年夏は、新型コロナの感染拡大は今よりずっと少なかったが、首都圏に住む筆者は、葬儀に参席できなかったので、一周忌にはぜひとも参席したいと思っていた。

 コロナ禍で、集まったのは近親者のみ。当然、父をよく知る人ばかりで、その分、話は弾んだ。いとこが真っ先に語ったのは、父が晩年を過ごした“山小屋”のことだった。山小屋と言っても、廃車となった大型バスを買い取り改造し、流しなどを付けて生活できるようにしたものだった。人けのない山の中で、父は炭を焼いたり、キノコを栽培したりしながら、自給自足のような生活をしていた。

 父に誘われ、いとこはその山小屋に何度か寝泊まりしたという。小鳥のさえずりだけが聞こえる森の中で過ごすことは、「日頃の煩わしさを忘れさせてくれ、心の洗濯になった」と、懐かしがった。そして「今なら『ポツンと一軒家』が取材に来ていたかも」と笑った。

 農業を営みながら、副業に花火師をしている親戚がいる。かつてのにぎわいを取り戻そうと、父が再興に尽力した神社のお祭りに、破格の料金で花火を打ち上げてくれていたが、「おじさん(父)には本当に世話になった。コロナで花火の仕事はゼロになったけどね」と、冗談を交えながら目を潤ませた。遺影を見詰めていた姉は、「幾つになっても、父ちゃんが恋しいね」と涙を隠さない。

 本来、近親者は一周忌までは喪に服し、故人の冥福を祈って過ごすものだと言われている。父の死に目にも会えず、葬儀にも参席できなかった筆者は自分の部屋に飾った父の遺影を見ていても、心のどこかに父の死を受け入れられない自分がいた。

 1年たって、兄弟やいとこたちの心の中で、父がしっかり生きていることを知って、やっと父の死を実感したのだった。

(森)