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情より知が先行し「死」が悲しくない若者


 知り合いから「進路相談に乗ってほしい若者がいる」と言われ、その専門学校生(20代)と喫茶店で会い2時間余り話し込んだ。初対面だというのに、よく話す青年だった。

 コンピュータープログラミングを学んでいて将来は、人工知能(AI)を駆使して、臨終の間際まで人に寄り添うロボットを作るのが夢だという。後で、知人と彼の母親も交えてレストランで食事した時、スマホをいじってばかりいる、そんな若者だった。

 喫茶店では、AIやロボットについて饒舌(じょうぜつ)に語る彼に対し、私はもっぱら聞き役だったが、打ち解けてきたかな、と思った時、彼は急に、数年前に祖父が亡くなったことを語りだした。そして、ポツリと、次のようなことを言った。

 「これまで身近な人の死を3回経験したが、周囲の人は泣いているのに、自分は涙が出ないし、ちっとも悲しくなかった。感情が湧かないのではなく、アニメを見れば、笑ったり悲しくなったりする。精神科で診てもらおうかと思ったこともある」

 私は驚かなかった。「自分らの世代は、インターネットの発達と成長過程が重なる」という彼に接するうちに、何となく、そんな青年かな、という印象を持ったからだった。

 私の場合、中3の時に祖父が亡くなった。人の死を間近に見た初めての経験だったが、私も涙が出なかった。次第に呼吸が弱くなっていく祖父を見ていて、肉親を失う悲しさよりも「死とは何だろう」と、その不思議さを思ったのだ。青年の場合は、別の要因があるように思い、次のようなことを話した。

 「君たちの世代は、実体験よりも情報の方が先にあって、それで脳のOSが形成されている。情よりも知的に考えることが先行してしまっているのではないか」

 思い付くままに口にした分析だったが、「そうだ!」とばかりに大きくうなずく彼の顔が印象的だった。

(清)