〈或時(あるとき)雨の降る晩のことです。私を乗せた人力車は、何度も大森界隈(かいわい)の険しい坂を上ったり下ったりして、やっと竹藪に囲まれた、小さな西洋館の前に梶棒(かじぼう)を下ろしました〉
西洋館の狭苦しい玄関には瀬戸物の表札が掛かっていて、「印度人マテイラム・ミスラ」と書かれていた。この人はカルカッタ生まれの愛国者で、ハッサン・カンという名高い婆羅(ばら)門から秘法を学んだという若い魔術の大家である。私は友人の紹介で交際していたが、政治経済の話ばかりで魔術は見たことがなかった。そこで見せてほしいと依頼し、承諾を得て訪ねた。
呼び鈴を押すと日本人のお婆(ばあ)さんが出てきて、ミスラ君の部屋に案内された。用件を伝えると紅茶と葉巻でもてなされ、その魔術についてミスラ君がこう語った。
〈私がハッサン・カンから学んだ魔術は、あなたでも使おうと思えば使えますよ。高(たか)が進歩した催眠術に過ぎないのですから〉
そうしてその魔術を披露してみせてくれた。テーブル掛けの花模様をつまみ上げると花となり、私の鼻の先へ持ってくると重苦しい匂いを発していた。テーブルのランプを置き直すと独楽(こま)のように廻(まわ)り始める。また書棚の本が蝶(ちょう)のようにテーブルに飛んでくる。
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この魔術は、欲さえ捨てれば誰でもが使えると聞いて、私は泊まって習う。1カ月の後、銀座のあるクラブで友人たちの前でそれをやってみせた。その魔術は暖炉で燃える石炭を床にまき散らして金貨に変えるというもの。
その金貨を見た友人たちは、それを元手に皆とカルタをしようと誘うが、私は戒めを思い出して断った。しかし、金貨を取られたくないからだろうとけしかけられて始めてみると、勝ち続けた。最後にカルタを引くと王様が出てきてまた勝ったが、王様は気味の悪い微笑を浮かべ、聞き覚えのある声で私に言った。
〈御客様ハ御帰リニナルソウダカラ、寝床ノシタクハシナクテモイイヨ〉
ひと月と思ったのはほんの2、3分の夢だった。その短い時間に、私が魔術を習う資格のない人間だということが明らかになる。
人間に潜む利己的な欲心をえぐった名作だ。
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名文章の書き出しで、その西洋館がどこにあったのか分からなかったが、舞台の大森界隈に向かった。

この辺り、つまりJR大森駅から都営地下鉄西馬込(にしまごめ)駅にかけての広いエリアは、「馬込文士村」として知られてきた土地だった。
芥川がこの作品を『赤い鳥』に発表したのは、大正9(1920)年1月。当時は、この郊外の地に別荘が建ち始める頃で、文士たちも2、3人いて、芥川は和辻哲郎の家を訪ねたりしていた。文士村が形成されるのはその頃からで、人口が増えるのは大正12(1923)年の関東大震災以後。

低地には田、台地には畑が広がり、西に行くに従って山と谷となり、馬込には九十九(つくも)の谷があると言われた。鶴、雁(がん)、鴨(かも)が集まり、鹿、猪(いのしし)、兎(うさぎ)などもいて、明治維新まで将軍の狩り場となっていた。
西馬込駅で下車して、大田区立郷土博物館に向かった。住宅街の坂道を下り、桜のプロムナードを越えてまた坂道を上ると、大田区立郷土博物館の前に出た。

大田区は大森貝塚で有名で、縄文時代から遺跡が多いが、当時は農漁村の風景が広がっていた土地であり、同博物館にはそうした風景と暮らしが紹介されていた。それらの展示コーナーに混じって「馬込文士村」の紹介があった。
住民として登場する作家や詩人、画家たちは42人に上り、一人一人の生活の様子が紹介されている。『魔術』が書かれた頃の風景も、画家たちの手によって記録されていて、見るとこの辺りが鄙(ひな)びた農村だったことが分かる。「馬込の月」(川瀬巴水(はすい)、昭和5年、木版画)、「山王風景」(白瀧(しらたき)幾之助、明治末~大正初め、油彩)、「馬込風景」(真野紀太郎、大正9年、水彩)など。
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さて博物館を出て坂道を上っていくと臼田坂がクロスしていて、この坂道を南東に下って行った。山の尾根筋に当たり、左右は谷で、バス路線になっている。この道沿いにかつて川端康成や石坂洋次郎が住んでいたという。

途中から右近坂を下って、南馬込文化センターに寄り、さらに下って環七通りを越え、山王地区に入ると、山本有三の旧邸跡があった。そこから山を越えて、文士村の展示のある山王会館に立ち寄り、大森駅まで歩いた。
『魔術』で紹介されている土地は、険しい坂道があるというだけで、その他は省略されている。西洋館があるので都会的な住宅地だと想像してしまったが、実際は鄙びた農村。農村風景を描写したのでは、この都会的で、知的で、洗練された物語のイメージと合わなくなる。
(増子耕一、写真も)
『魔術』

子供向けに書かれた短編小説で、大正9(1920)年、鈴木三重吉の主宰する雑誌『赤い鳥』に発表された。以後、児童文学に関心を寄せて、『蜘蛛の糸』『犬と笛』『杜子春』『アグニの神』を掲載した。
2年前、芥川は塚本文と結婚して、鎌倉に転居。海軍機関学校の嘱託の傍ら大阪毎日新聞社と契約を結んで作品を書き、創作意欲にあふれていた。
『蜘蛛の糸』も『魔術』と同様、人間の心に巣くう欲心を主題にしている。これらの作品で欲心は物語を動かす重要な要素だが、後期の作品ほど深刻には扱われていない。欲心となって現れる、仏教でいう三毒「貪瞋癡(とんじんち)」は罪悪の根源。後の作品で芥川は、この穴に堕ちて苦しむ人間の姿を描き出す。写真は『魔術』が掲載された新潮文庫版。






