大正から昭和初期にかけ自然主義の流れを汲(く)む私小説作家として活躍した加能作次郎は、明治18(1885)年、石川県・能登の羽咋(はくい)郡西海村(さいかいむら)風戸(ふと)(現・志賀(しか)町西海風戸)に生まれた。風戸は日本海に面した小さな漁村で、父浅次郎は京都から加能家に養子に入り、漁業を生業(なりわい)とした。作次郎の文学は、郷里能登の風土と切り離すことができない。

幼くして生母と死に別れ、継母や父への遠慮、自身の病気から、13歳の時、京都の伯父を頼って家を出る。しかし、伯父の家では下男(げなん)のように扱われるなど、辛(つら)い少年時代を送る。その後帰郷し、小学校の準教員の資格を得て教職に就くが、文学への志を捨て難く明治38(1905)年に上京、早稲田大学に学ぶ。そこで片上伸(かたがみのぶる)の指導を受け、彼の紹介で「ホトトギス」へ寄稿し、卒業後は博文館に入り「文章世界」の編集主任などを務める傍ら、旺盛な創作活動を続けた。
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代表作としては、少年期の体験を綴(つづ)った『世の中へ』『乳の匂い』がよく挙げられる。いずれも名作だが、作次郎のユニークさが表れた作品としては、短編の『汽船』を逸することはできない。近在の寺の娘を嫁に貰(もら)うために帰省した作次郎が、家で祝言を上げた夜、新妻を連れて上京するために、見送りの親戚家族や村の人々と一緒に浜伝いに歩いて行き、やがて夜が明けていくまでを描いている。
話の筋としてはそれだけなのだが、花嫁花婿を祝福する村人は2人を酒の肴(さかな)に野外で飲み食いしお祭り騒ぎをしながら村外れまで送って行く。その姿が、能登弁の会話を中心に生き生きと描かれている。
花嫁と離れて先頭を歩く花婿に、本家の細君が言う。
「兄様(あんさま)、そうどんどん歩るかんと、嫁様と一緒ね、ゆっくり歩るくこっちゃわいね。まだじっくり話もせんがやろう?」
別の女は、4、5日前に仕事で函館へ行く夫を送る妻に付き添って行った時の話をする。一行が峠で一休みしている間、夫婦はどこかに消え、しばらくして近くの炭焼き小屋から出てきた。さらに波止場で別れる時は、もう一生の別れのように泣いていたので、自分たちは決まりが悪くて困ったという。
これを引き取って花婿の母が剽軽(ひょうきん)に言う。
「そのことア、それほど情の深いのがいいわいね。夫婦(めおと)やもん。誰に恥かしかろや」
それで皆がまたドッと笑う。
村の女たちの何か古代的、万葉集的とも言うべき、明るく大らかなやりとりが面白い。作次郎の作品は、よく「情味のある私小説」と評される。その背景には、まず彼が苦労人であったことがある。もう一つは能登弁の持つ味わいが大きい。
西海村は、松本清張の『ゼロの焦点』の舞台となった「ヤセの断崖」からも遠くない。
『ゼロの焦点』のおかげで、能登の陰鬱(いんうつ)なイメージが定着してしまったが、それは能登の一面にすぎない。明るく大らかな能登を知るためにも、加能文学はもっと読まれるべきだろう。
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加能作次郎の生まれた西海村風戸の南には、増穂浦(ますほがうら)の4キロにわたる砂浜が続いている。美しい貝がらがたくさん採れる砂浜として知られ、11月から翌年3月に吹く風は「貝寄せの風」と呼ばれている。この海岸には、ギネスブックに掲載されたこともある全長460・9㍍の「世界一長いベンチ」もある。令和6(2024)年元日の地震で壊れてしまったが、この5月に訪れた時はきれいに修復されていた。
ベンチのある一画には、老婦人の胸像がレリーフされた「慈母の愛を讃(たた)える碑」がある。

二葉百合子が歌って大ヒットした「岸壁の母」のモデル、端野(はしの)いせが西海村風無(かざなし)出身であることから、ここに造られた。
『汽船』に登場する勝ち気で情の厚い女たちと、抑留された息子の帰還を京都府の舞鶴港で待ち続けた「岸壁の母」が重なってくる。
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砂浜は緩い弧を描きながら北へ延びている。それが途切れた先に岬が続き、その岬の先端辺りに家々が固まり、屋根瓦が日を受けて光っている。作次郎の生まれた風戸の集落だ。
『汽船』では集落を出た親族、村人たちはこの砂浜伝いに南下し富来(とぎ)町まで来て東京へ向かう花嫁花婿を見送るのである。風戸の集落に入り、加能作次郎文学碑の場所を訪ねようと、通り沿いの家のインターホンを押すと、中から初老の男性が出てきて、場所を教えてくれた。男性はさらにかつて作次郎の生家のあった場所を教えてくれたが、そこは更地になっていた。

文学碑は漁港の裏手の坂の上にあった。「人は誰でもその生涯の中に一度位自分で自分を幸福に思う時期を持つものである」と記されていた。作次郎が娘の結婚の際に贈った言葉という。
(特別編集委員・藤橋 進、写真も)
『汽船』

短編小説。『文章世界』大正3(1914)年4月号に掲載。この年の3月、作次郎は羽咋郡稗造(ひえつくり)村(現・志賀町)の浄法寺住職の長女、嶋田房野と結婚する。郷里に帰省し、挙式の後、東京の牛込区新小川町に新居を構えた。この時の体験をすぐ小説に仕立てた。作品からすると、作次郎と房野はこの時が初対面だったようだ。春を迎えた郷里での祝言、親族と村人たちが、飲み食いしながら新郎新婦を見送るさまを写実的に描いている。
東京での生活に慣れた作次郎は、村の人々との付き合いを鬱陶(うっとう)しく感じるが、村人を見る目は温かい。能登の漁村の共同体のありようを伝える民俗的記録としても貴重だ。本作は荒川洋治編『世の中へ・乳の匂い 加能作次郎作品集』(講談社文芸文庫、写真)に収録されている。





