戦国時代から江戸時代にかけて、日本各地で多くの城が造られたが、当時の天守閣が残っているのは12城にすぎない。国宝に指定されているのは5城のみで、その中でも最も古いのが愛知県犬山市の犬山城だ。木曽川のほとりの小高い崖の上にその優美な姿を今に残している。現存最古の天守閣とその麓の城下町は人気の観光スポットになっている。(文と写真・藤野俊之)

名鉄名古屋駅から犬山駅までは特急で30分弱。駅の観光案内所で、城まで歩いてどれくらいか尋ねると、「20分ほど」と言う。もらった地図を頼りに、駅前の道を真っすぐ5、6分行くと、「本町通り」という賑(にぎ)やかな通りにぶつかった。右手、北の方角を見ると、通りが真っすぐに延び、観光客で賑わっている。通りの奥に目指す犬山城の天守が覗(のぞ)いている。

通りの両側には食堂やレストラン、甘味処(どころ)、カフェ、土産物店などが軒を連ねている。この本町通りは、かつて城下町犬山の商業の中心地で、呉服屋や造り酒屋などが並び、この辺りの店主は「上町(うわまち)の旦那衆」と呼ばれ、羽振りがよかったという。一帯に高い建物がないので、城を中心とした昔の城下町の雰囲気が残っている。

その本町通りを抜けると城の麓。天守閣は入場制限を行っているので20分ほど列について待った。見上げると天守閣の望楼の欄干に人が出ている。望楼の外に出て景色を眺めることができるのが、この城の人気の理由の一つだ。

犬山城は、織田信長の叔父である織田信康が天文6(1537)年に築城したのが始まりという。その後城主は目まぐるしく代わり、尾張(おわり)藩付家老の成瀬正成が徳川秀忠から拝領して以来、明治維新まで成瀬氏が代々城主を務めた。明治24(1891)年の濃尾(のうび)地震で天守は大きな被害に見舞われるが、同28(1895)年、修復を条件に愛知県から旧城主である成瀬氏に譲渡された。修理には市民から多額の義援金が寄せられた。
創建年代については幾つか説があったが、令和に入って行われた年輪年代法による調査で、天正13(1585)年~18(1590)年であることが分かり、現存天守で最も古いことが判明した。
古い階段を上り切り、地上4階の高欄の間に出た。壁に初代の成瀬正成から続く歴代城主の肖像が並んでいる。外に出ると、眼下を木曽川がゆったりと流れている。対岸の平野の向こうには岐阜の山々が見える。
反対側に行くと犬山の市街地が広がり、濃尾平野が一望できる。四方の眺めの良さは抜群で、実に爽快だ。それはとりもなおさず、ここが戦略的な要衝であったことを物語っている。

城跡を出て、木曽川のほとりに出てみた。この城が川に臨む断崖の上に立っていることがよく分かる。防御のために天然の立地を生かしたのに他ならないが、大河のほとりに屹立(きつりつ)する天守の姿は壮観で、その美しさは唯一無二のものだ。





