小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、妻セツと暮らした松江市のシンボル、松江城。その現存天守閣は、五つしかない国宝の一つだ。城の周辺には小泉八雲の記念館と旧居のほか、八雲がよく足を運んだ城山稲荷神社などゆかりのスポットがある。(文と写真・藤野俊之)

松江城は標高29㍍の亀田山という低い丘陵の上に本丸と天守閣がある、いわゆる平山城で、周りをお堀が囲んでいる。緩やかな坂と石段を上って本丸跡に至ると、天守閣がでんと構えている。
関ケ原の合戦後、出雲・隠岐の領主となった堀尾吉晴によって慶長16(1611)年に完成した。その後、京極忠高そして徳川家康の孫、松平直政へと主が替わり、明治維新まで続いた。

明治に入り、全国の多くの城が取り壊される中、旧藩士・高城権八、豪農の勝部本右衛門らの奔走によって、松江城は取り壊しを免れる。以後市民によって守られ、平成27年には、その歴史的・文化的価値から国宝に指定されている。
外観は4重で、白漆喰(しっくい)の壁は少なく、黒い下見板で囲われた黒の基調となっている。
どっしりとした外観は剛健さと威風を湛(たた)えている。いかにも戦国の城といった印象だが、〝夢見る人〟小泉八雲の眼(め)には次のように映った。
「角(つの)のような突起のある切妻、鬼瓦(おにがわら)で飾られた庇(ひさし)、各階ごとに斜めに突き出た屋根の上には、瓦が判じ物のように並んでいる。まさに城そのものが、怪奇なものを寄せ集めてできた竜のようである」(『日本の面影』小泉八雲著、池田雅之訳)
内部は5層構造となっており、階段を上って最上階の望楼に出ると、東西南北の眺望が楽しめる。西側には宍道湖(しんじこ)、南は松江市街、そして東側から米子方面を見ると遠く伯耆大山(ほうきだいせん)も望むことができた。
天守閣を後にして、裏手の道をしばらく行くと、赤い鳥居が見えてきた。中学校と師範学校の英語教師をしていた八雲が通勤途中、散歩がてらよく立ち寄ったという城山稲荷神社だ。隨神門を潜(くぐ)って行くと拝殿と本殿の横に、狐(きつね)の石像がずらりと並んでいる。

現在、大小さまざま1000体ほどある石狐は、八雲の頃には2000体もあったという。その中でも八雲が気に入っていたという石狐が2体、屋根付きの囲いの中に置かれていた。
それにしても不思議な気に満ちた空間だ。八雲好みのスピリチュアルなスポットであることは間違いない。
稲荷神社からさらに城の裏手の道を行くと、お堀に出た。掘割を遊覧船がゆっくりと進んでいく。掘割を約50分かけて周遊する遊覧船は松江観光の目玉の一つだ。

橋を渡って掘割沿いの道路を行くと、小泉八雲の旧居とそれに隣接する記念館がある。
記念館では小泉八雲の全体像、旧居では松江での暮らしぶりを偲(しの)ぶことができる。掘割沿いに武家屋敷街が続く一画にあり、松江ならではの趣のある景観を作っている。






