志賀直哉の唯一の長編小説『暗夜行路』の前篇は、主人公・時任謙作が放蕩(ほうとう)に耽(ふけ)るところで終わる。後篇では、そんな生活から脱却し、人生を立て直そうと京都に転居した謙作が妻となる直子を見初める話から始まる。

「鳥毛立屏風の美人」に喩(たと)えられる妻との結婚生活は平穏で男児も生まれるが、生後間もないその子を病気で失う。さらに謙作の留守中、直子が従弟(いとこ)の要と間違いを起こす。謙作は、祖父と実母の間に生まれた不義の子である自分の暗い運命を意識せざるを得なくなる。
謙作は妻の不義を許し、第2子も生まれるが、それでも以前のように、妻と向き合うことができない。そんな自分にも苛(いら)立ちを覚え、京都の駅で汽車に慌てて乗ろうとした直子をプラットホームに突き落とすという事件まで起こしてしまう。このままではいけないと謙作は、自分自身を立て直すため、一旦(いったん)、旅に出て妻と別居することを決意、伯耆(ほうき)(鳥取県)の大山(だいせん)に向かう――。
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伯耆大山は、古くからの山岳信仰の霊場で、中腹に天台宗別格本山の角磐山大山寺がある。謙作はそこの蓮浄院という宿坊に滞在する。長年人との関係に疲れ切ってしまった謙作には「此処(ここ)の生活はよかった」という文章の後、次のような描写が続く。
<縁へ登る石段に腰かけていると、よく前を大きな蜻蜒(やんま)が十間(けん)程の所を往(い)ったり来たりした。両方に強く翅(はね)を張って地上三尺ばかりの高さを真直(まっす)ぐに飛ぶ。そして或(あ)る所で向きを変えると又真直ぐに帰って来る>

その様子を目の当たりにするような鮮やかな描写の後、次のような述懐が続く。
<殊(こと)にその如何(いか)にもしっかりした動作が謙作にはよく思われた。彼は人間の小人(しょうじん)――例えば水谷のような人間の動作とこれと較(くら)べ、どれだけかこの小さな蜻蜒(やんま)の方が上等かも知れない気がした>
自然、宇宙との比較で人間を、そして自分自身を見詰めるというテーマに繋(つな)がっている。
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後篇のというより小説全体の白眉となるのが、大山寺から頂上を目指した謙作が体調を崩し、下山する途中、大山を背にして休息する中での体験である。
<彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込(とけこ)んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒(けしつぶ)程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、――それに還元される感じが言葉に表現出来ない程の快さであった>

謙作は小さな自我を捨てて、何か大いなるものに触れたのだ。やがて夜が明け、米子、境港、美保の関などが暁光に照らし出されていくのを目にする。
宿坊に帰った謙作はしかし、高熱を発し、生死の境をさまようことになる。そして大山に駆け付けた直子が「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分はこの人を離れず、何所までもこの人に随(つ)いて行くのだ」と思うところで、この小説は幕を閉じる。
この小説を小林秀雄は、”恋愛小説”と評したが、作者の志賀直哉は、恋愛小説を書くつもりはなかった。それでも「そういう見方もできるという事はこの小説の幅であるから、その意味では嬉しく思った」とも語っている。
前篇の尾道滞在、後篇では応挙寺(兵庫県美方郡の大乗寺)訪問などもあり、一種のロードノベル的なところもあるこの作品は、確かにさまざまな読み方ができる。
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時任謙作そして恐らく志賀直哉自身が大山口駅から人力車に乗り、途中からは車夫に荷を担わせて徒歩で一日がかりで辿(たど)り着いた大山寺も、今では米子市内から30分ほどで到着する。緩やかな上り坂の車道を行くと、だんだん山容が迫ってくる。標高1729㍍、”伯耆富士”の異名を持つこの山は広い裾野を持ち、素晴らしい自然に恵まれ、登山客も多い。
大山寺は修験道(しゅげんどう)の道場として栄え、最盛期には100を超える寺院と3000人以上の僧兵を抱えていたが、明治の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)をきっかけに急速に衰退した。それでも、神仏融合の霊場だけあって、今も清らかな気に満ちている。
本堂を参拝した後、志賀直哉が大正3年7月に訪れ10日間滞在した僧房、蓮浄院跡へ向かう。寺の人の話では、今ちょうど工事をしているのでそれが目印と言う。境内の地図を頼りに行くと、細い登山道を少し登った所で工事をしていた。
何の工事かと尋ねると、かつての石垣を復元修理しているのだという。「そのために昔の蓮浄院の写真を見ながらやっているのです」と、現場監督らしき人が、手に持ったタブレット端末を開いてその写真を見せてくれた。
立派な石垣の奥に茅葺(かやぶき)の僧房が建っている。今はもうないが、志賀直哉がかつて宿泊した僧房の写真を見ることができたのは実に幸運だった。スマホにそれを写させてもらった。
『暗夜行路』を読む限り、直哉は山岳信仰などほとんど関心がなかったようだ。主人公謙作の山上での体験も直哉は宗教的な体験としては描いていないように見える。それでも、やはり大山滞在がなければ、そんな宗教的ともいえる体験をクライマックスに置くことはできなかったように思う。大山なくして『暗夜行路』の大団円は描けなかったのではないか。
(特別編集委員・藤橋 進、写真も)






