『暗夜行路』は、「小説の神様」志賀直哉が25年近い歳月をかけて完成させた唯一の長編小説である。祖父と母親の間に生まれた不義の子という暗い宿命を背負う主人公・時任謙作が、その宿命に抗(あらが)いながら生きていく姿を描いている。
一人称的三人称で語られることもあり、主人公と作者・志賀直哉を重ねて読んでしまう傾向があるが、直哉が謙作のような生い立ちというわけではない。直哉にとって実際の祖父は最も尊敬する人物で、作中の祖父は、実際の祖父とはあえて正反対な人物として描いた。
しかし主人公謙作については、「大体作者自身。自分がそういう場合にはそう行動するだろう、或(あるい)はそう行動したいと思うだろう、或は実際そう行動した、というようなことの集大成といっていい」(続創作餘談<よだん>)という。謙作の心の軌跡を描いたこの長編は、作者の半自叙伝的性格を持つ。

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人道主義、自我主義の白樺派の教養小説として昭和世代を中心に読み継がれてきたが、小説としての出来栄えについては、さまざまな欠陥を指摘されてきた。最初私(わたくし)小説として書かれた『時任謙作』が、そのまま『暗夜行路』に構想を改められたことが大きい。作者自身「前篇後篇統一を欠いたわけだが、仕方のないことだった」と述べている。
前篇では主に、お金に不自由しないお坊ちゃんたちの遊蕩(ゆうとう)が描かれる。これ自体は、多くの読者の生活感情からは遠いものだが、青年男子の性欲の問題を率直に描いているという点では普遍性を持つ。昭和の名作、文学青年の必読書とされてきたのはそのためだろう。
大正元年11月、かねて創作に集中するためどこかに移住したいと考えていた直哉は、父親との口論をきっかけに尾道に移住する。港を見下ろす坂の中腹にある長屋の一つを借りて、ここで長編小説の執筆にとりかかる。作中にはこう書かれている。

<謙作の寓居(ぐうきょ)は三軒の小さい棟割(むねわり)長屋の一番奥にあった。隣は人のいい老夫婦でその婆(ばあ)さんに食事、洗濯(せんたく)その他(た)の世話を頼んだ>
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途中1度の帰京などを挟む約1年間の尾道住まいは、前篇の中では、最も精彩のある部分となっている。
<六時になると上の千光寺(せんこうじ)で刻(とき)の鐘をつく。ごーんとなると直(す)ぐごーんと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰って来る。その頃(ころ)から、昼間は向い島の山と山との間に一寸(ちょっと)頭を見せている百貫島(ひゃっかんじま)の燈台が光り出す。それはピカリと光って又消える。造船所の銅を熔(と)かしたような火が水に映り出す>
そんな尾道の風光と共に、尾道の人々特に「隣の婆(ばあ)さん」の温かい人柄が、屈託を抱える直哉、作中では謙作の、孤独な心を癒やした。
直哉は、夕食の飯を持ってきた婆さんが、謙作が何も菜の支度をしていないのを見て、「でべらないと焼きやんしょうかの」と、尾道弁で言うのを正確に記している。「でべら」とはでべらがれいの干物。この尾道弁の人なつっこい優しい響きは、志賀直哉を尊敬する映画監督・小津安二郎が『東京物語』で用いている。小津は中国戦線へ出征した際、背嚢(はいのう)の中に『暗夜行路』を入れ陣中で読み耽(ふけ)った。
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志賀直哉が住んだ三軒長屋は、今も志賀直哉旧居として、ほぼ当時のまま保存されている。千光寺へ上る坂道の途中に、木造の長屋があり、そばに「暗夜行路」の碑が立っていた。南向きで海の方に面している。2020年までは公開されていたが、今は雨戸が閉められ外観を眺めるのみ。来館者が減って来たことが理由らしいが、残念だ。昔ほど志賀直哉や『暗夜行路』は読まれなくなったということだろうか。
千光寺へ続く坂道には「文学のこみち」というのがあって、『暗夜行路』の一節を刻んだ石碑がある。尾道の高等女学校を卒業した林芙美子の『放浪記』の一節を刻んだ石碑もある。ほかに金田一京助、緒方洪庵など尾道ゆかりの文人の碑が点在している。尾道の風光は多くの文人墨客から愛された。

千光寺に詣で、さらにその上の展望台から、尾道水道を一望した。眼下に海に臨む町並みがあり、尾道水道を挟んで対岸の向島が手に取るように見える。そしてその向こうに四国の山々が望まれる。広々とした気持ちのいい眺めだ。
向島の造船所だろうか、大きなクレーンが幾つも見える。直哉が住んでいた頃とはかなり様変わりしたこの風景を、彼ならどんなふうに書いただろうとふと思った。
(特別編集委員・藤橋 進、写真も)
『暗夜行路』新潮社

雑誌「改造」大正10年1月号から昭和12年4月号に断続的に発表される。そのうち前篇は大正11年、新潮社から刊行。後篇の終わり部分を書き下ろし、昭和12年に改造社刊『志賀直哉全集』第7、8巻にはじめて全編が収載された。
「不義の子」という暗い宿命と性の葛藤を描いた前篇の最後の節は『憐れな男』として「中央公論」大正8年4月号に、冒頭の「序詞」は『謙作の追憶』として「新潮」大正9年1月号にそれぞれ独立した短編として発表された。大正元年、尾道滞在中に私小説『時任謙作』として筆を起こし、『暗夜行路』として完成するまでに四半世紀余りがかかった。前篇は『時任謙作』として苦しみながら書いたものを生かしたと著者は述べている。






