トップ文化旅・レジャー弱き信仰者のための文学 “受難の長崎”で踏絵と出合うー遠藤周作『沈黙』

弱き信仰者のための文学 “受難の長崎”で踏絵と出合うー遠藤周作『沈黙』

<主よ、あなたは何故、黙っておられるのです。あなたは何故いつも黙っておられるのですか>
 遠藤周作(1923~96年)が「神の沈黙」という宗教や信仰を超えた根源的な問いに切り込んだ小説『沈黙』。この作品が生まれたのは、遠藤が仕事の合間にふらりと訪れた長崎で偶然「踏絵」を目にしたことがきっかけだった。
長崎県五島市の堂崎天主堂
長崎県五島市の堂崎天主堂

 年間を通じて修学旅行生を見かける長崎は、中心街でも坂ばかりで徒歩で観光するには向いていない。その代わり、観光地には路面電車や路線バスが張り巡らされている。乗り物を降りて歩けば、石畳に柳が揺れている。出島や眼鏡橋など長崎の有名な観光地を巡るとその周辺にも史跡や寺社仏閣・教会が多いことに気付く。至る所で異なる文化や観光スポットに触れることができ、飽きることがない。

沈黙関連地図
沈黙関連地図

 長崎は遣唐使の派遣拠点など古来、国際交流の「窓」として役割を担ってきた。ポルトガル・スペイン・明(中国)との南蛮貿易が栄えた16世紀、「東の小ローマ」と呼ばれ、西欧・東洋・日本の文化が合わさる街が生まれた。時代に消えたものも多いが、長崎には今でもその風情が残っている。

 遠藤は、誰もが足を運ぶ有名な長崎市の教会「大浦天主堂」の近くにあった歴史資料館「十六番館」(現在は閉館)で一枚の踏絵と出合った。彼の長崎の街歩きが無ければ『沈黙』は生まれていなかったかもしれない。長崎には史跡巡りを促すような街の魅力がある。歴史を後世に届けようとした人々の祈りは一人の文学者に届いた。

日本二十六聖人の一人、ヨハネ五島の像
日本二十六聖人の一人、ヨハネ五島の像

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 小説はローマ教会に、「日本に宣教しに行った信心深いカトリック司祭がついに拷問に屈して棄教した」という衝撃的な報告がもたらされる場面から始まる。

 江戸時代の長崎・外海(そとめ)地方。島原の乱以降、切支丹(キリシタン)禁教令により、当時40万人いたとされる切支丹が弾圧を受けていた。棄教したフェレイラ司祭の教え子だったポルトガル青年司祭のセバスチャン・ロドリゴは、恩師の棄教を信じられずにいた。残された日本の信者のため、そして師の真実を確認するため、日本に潜入する。ロドリゴは役人たちに隠れて信仰を継続する村にたどり着くが、次第に司祭は窮地に追い込まれていく。

 背教することを「転(ころ)ぶ」という。踏絵を迫られた切支丹たちは、転ぶか、殉教するかを選択しなければいけなかった。ロドリゴは信徒たちに踏みなさいと伝えるも、幕府や領主らは踏絵以外にもあらゆる残忍な方法で切支丹の一掃を図る。

 ロドリゴは信徒の命を人質に取られ棄教を迫られる中で、ついに背教したフェレイラ、日本名・沢野忠庵(ちゅうあん)に再会を果たす。フェレイラはロドリゴに棄教を諭すため、日本にキリスト教が根付かなかった文化の違いを伝える。最も残酷な拷問「穴吊(づ)り」を受ける日本人信徒の命を助けるため、踏絵に足を掛けたロドリゴ。その時、彼の心に主の声が届く。

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 遠藤は人間の弱さを責める「神」ではなく、人間と共に苦しみ、弱さを許し慰める「神」を描いた。初めて読んだ時、その最後の一文に打ちのめされた。

 この点について、文芸評論家の佐伯彰一は「『沈黙』は、カトリック教徒のけわしい信仰の隘路(あいろ)をたどり、描きながら、じつは超(、)カトリック、普遍的な宗教小説たり得ているのではないだろうか」と評している。

 踏絵を拒否した殉教者は崇高な行為を讃(たた)えられるが、踏絵をした弱き信仰者たちは教会にとって軽蔑の対象であり、語りたくない存在であった。

 作品に取り組んだ動機を遠藤はこう語る。「(転び者は)沈黙の灰のなかに埋められた。…彼等が(自分の理想)を裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。…(彼等を)永久に消してしまいたくはなかった。彼等をふたたびその灰のなかから生き返らせ、歩かせ、その声をきくことは―それは文学者だけできること」だと。

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 長崎港を出発して高速船で約1時間50分、五島の福江島に向かった。船から海を見渡すと、風と共に波が絶えずうねっている。かつて、この長い海を往来した人々は大変な苦労だっただろう。

 1797年、福江島に向かってこの海を渡った108人の信徒がいた。五島藩と大村藩による集団移住政策で、六方(むかた)の浜に着いた。現在海水浴場となっている六方の浜は、砂がサラサラとして清掃が行き届いていた。時間を忘れて浜辺で海を見詰めていると、自然と語り合える感覚もあった。

六方の浜
六方の浜

 幕府から目の届かない五島で信仰を求める人々がいたことは堂崎天主堂の資料館で知ることができる。1880年の禁教令解禁後に五島に初めて建てられた天主堂で、長崎で殉教した二十六聖人の一人、ヨハネ五島の像が敷地内にある。天主堂に足を踏み入れると、聖教木版画などが展示されている。祭壇前で目を閉じると、身体が震えるような波動を感じた。

 五島観光歴史資料館でも五島の歴史を楽しく学ぶことができる。暗い歴史と対照的に長崎や五島の人々は明るい。「どこから来たの?良い旅になりますように」とよく話し掛けてくれた。「遠い距離をわざわざ来てくれた」という感謝の気持ちの表れか。おもてなしの心が温かく、また来たいという思いにつながる。

 2016年にハリウッドで『沈黙-サイレンス-』として映画化され、世界から注目を集めた。さらに18年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン」は世界文化遺産に登録され、長崎に経済効果をもたらした。福江島にも海外観光客を見掛けたが、近年は長崎の観光地の英訳対応が追い付いてきている。

 長崎では最大の悲劇ともいうべき原爆投下についても学ぶことができる。人類が知るべき「受難の長崎」の歴史に触れるきっかけを世界に発信する作品『沈黙』の価値は計り知れない。

(竹澤安李紗、写真も)

 『沈黙』新潮文庫

『沈黙』新潮文庫
『沈黙』新潮文庫

 長編小説。昭和41(1966)年3月、新潮社から刊行。17世紀に起きた島原の乱から間もないキリシタン禁制が敷かれた鎖国時代が描かれる。作者自身が長崎を取材し、歴史的事実に基づいて創作した歴史小説。第2回谷崎潤一郎賞受賞。

 文芸評論家の佐伯彰一は作品中の語り手の視点が「純客観、純主観、半客観、半主観」の構成が作品の成功に大きな役割を果たしたという。

 『沈黙』と同じ素材や主題を扱った作品として戯曲『黄金の国』(同年)がある。世界20カ国以上で翻訳されている。

 写真は新潮社。

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