『遠野物語』は、柳田國男が岩手県遠野出身の佐々木喜善から聞いた郷土の伝承を簡潔な文語体でまとめ明治43年に発表したもので、日本民俗学の先鞭(せんべん)をつけた傑作である。そこには、山の神、オシラサマとオクナイサマ、山女、雪女、河童(かっぱ)、座敷童子(ざしきわらし)などが登場し、神々と精霊、霊魂と妖怪、動物と人間にまつわる怪異な話が119話収められている。

現実離れしたフィクションのようにも思われるが、柳田は「現在の事実なり」と述べている。遠野地方に伝わる不可思議な現象や事件などの「事実」を集めて、柳田はそれを魅惑的な文学作品に仕上げた。
『遠野物語』を著した意図を柳田は「遠野郷には此類(このたぐい)の物語猶(なお)数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と序文に記した。西洋近代文明が流入し、文明開化、科学万能の世の到来を予感させた明治時代、そのアンチテーゼとして、合理性だけでは説明のつかない世界が歴然として残っているのだということを世に問いたかったのかもしれない。

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有名なところを幾つか紹介してみよう。「座敷童子」は旧家の奥座敷などに出没する神霊の話である。5~6歳から12~13歳の子供の姿で、普段は姿を見せないが、物音で気配を感じさせたり、時折住人の前に現れたりする。座敷童子がいる家は富み栄えるが、いなくなると家運が傾くという。座敷童子の伝承は東北地方各地に見られ、200例以上が報告されている。
「河童」は緑色の体をして頭に水の皿を乗せ、手足に水かきがあるおなじみの水辺の妖怪だ。人間の女性と密通したり、馬にいたずらをしたりする様子が本書には記されている。河童の伝承は日本各地に残されているが、遠野の河童は赤い河童として描かれている。遠野の生活文化を語り継ぐ施設「遠野伝承園」の案内人・斎藤和也さんは、「遠野では昔、姥捨(うばすて)や口減らしが実際にあった。働き手にならない年の子(幼児)を川に流したこともあったと聞いている。そのような事実を知られないように、子供たちが川に近づかないように、河童の話が創作されたとも考えられる」と話す。「遠野の河童は赤い。川に流した赤子の『赤』と結び付く」と、妙に腑(ふ)に落ちる説明をしてくれた。
オシラサマとは東北地方に広く伝わる民間信仰で、本書にもある長者の娘と飼い馬との悲恋から生まれたとされるもの。御神体は馬や女性の顔をかたどった30㌢ほどの木の棒に、真ん中に穴をあけた四角い布をかぶせた姿をしている。オクナイサマも東北地方の旧家に見られる家神で、御神体はオシラサマと同じ棒状型のほかに、木像、掛け軸なども存在する。農作業を手伝ったりして家に利益をもたらす一家の守護神としての役割があったようだ。
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遠野市を訪れれば、『遠野物語』を知るための施設が充実している。複合施設「とおの物語の館」では、遠野に伝わる民話を音と映像で体感的に楽しむことができ、語り部による方言たっぷりの昔話を聞くイベントも行われている。
施設内には柳田が宿泊した旧高善旅館・柳翁宿があり、展示館となっていて遠野物語の世界に触れることができる。また東京都世田谷区にあった柳田の隠居所が移築され、「柳田國男館」として柳田の功績や著作を紹介している。
近隣の遠野市立博物館では大画面シアターで『遠野物語』とその舞台である遠野の歴史との関わりを表現。山・里・町という三つの暮らしの領域を豊富な実物資料や写真、映像で紹介している。さらに柳田直筆の『遠野物語』の毛筆原稿、ペン字原稿、初校など、貴重な資料が展示されていて興味深い。

遠野に伝わる民話の世界を体感できる施設「遠野伝承園」には1000体のオシラサマを祀(まつ)る「御蚕神(オシラ)堂」や、国の重要文化財の曲り家「旧菊池家住宅」がある。曲り家は150年前のものが移築され、柱は土台石に載せただけで釘を一本も使わず木を組み合わせただけの、その独特の造りを内部から見学できる。ちなみにこの曲り家は東日本大震災でもびくともしなかったそうだ。曲り家の部屋では語り部による昔話を聞く催しが開かれる。また言語学者の金田一京助が「日本のグリム」と称した『遠野物語』の話者・佐々木喜善の記念館もあり、関連資料を展示している。

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伝承園から徒歩約8分の所にある常堅寺裏のカッパ淵は、河童が多く棲(す)み、人びとを驚かし、いたずらをした伝説がある場所。2体のカッパ像が出迎えてくれ、カッパ捕獲のためキュウリのエサを付けた釣り竿(ざお)が置いてある。
旅の最後に佐々木喜善の生家のある山口集落を訪れた。ここは姥捨伝説として知られるデンデラ野と呼ばれる地や、死の空間を意味するダンノハナと呼ばれる一角があるなど、物語の舞台が多く残されていて国の重要文化的景観に選定されている。遠野の風景を象徴するような古くから残る水車小屋は現役稼働中だ。
多くの伝承が生まれ、神社やお寺、史跡が点在し、年中行事や郷土芸能が残る日本の原風景とも言える遠野。秋の気配を感じる頃、人影もなくひっそりとした山村の田んぼには、収穫を待つ稲穂が黄金色に輝き、水路を流れる水と水車の回る音だけが聞こえていた。
(長野康彦、写真も)
<作品紹介>『遠野物語』柳田國男

明治43(1910)年に自費出版された柳田國男2作目の著作。岩手県遠野地方の民間伝承を集め文学にまで昇華させた作品で、日本民俗学の基礎を築いた。初版は350部だったが好評を博し、出版から115年となる今でも読み継がれている。原書は文語体で書かれているが、口語訳や解説書など関連書籍も多く出版されている。





