浮浪者の地下道は文化の路に
『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作をはじめ、海軍物の評伝が代表作の阿川弘之は、文壇デビューの頃から短編の名手でもあった。「新潮」平成4年1月号に発表された『鮨』は、著者最晩年の短編。若い頃とは違う円熟した味わいの名編だ。

阿川自身と思われる「彼」は、東北方面の町でのセミナーに招かれるが、討論会終了後の宴席を辞退し上野行きの特急列車に乗る。出発間際、主催者から「お弁当代わりですが」と折りに入った巻きずしを渡される。東京に着いてから友人と遅めの夕食を取ることにしていた彼は一瞬躊躇(ちゅうちょ)しながらもそれを受け取る。
<広いガラス窓越しに顔を見合わせてゐる一分足らずの、気づまりな時間が過ぎて、列車が動き出した。窓の向ふでお辞儀をする。こちらでもお辞儀をする。双方の間隔がすうッといふ感じで広がって行き、人のよささうな見送り人の姿は見えなくなった>
映画のワンシーンをみるような鮮やかな描写である。
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列車が動きだしてから、彼は何が入っているのかと折を開ける。「海苔の香りとかすかな酢の匂ひがし、米粒の艶もつやつやと」しているのを見て食い気を誘われ、「よし、ひとつだけ。人の好意だ」と、海苔(のり)巻きを口に入れる。後は再び紙に包んで家に持ち帰ろうと考えるが、家人の反応をあれこれ考えると、それもどうかと思う。
<窓外が暮れて来た。列車は南へ南へと走つてゐる。月は出てゐないらしく、森も畑も人家も、やがて皆宵闇に包まれて、窓ガラスが鏡になつた。そこへ映る自分の背広ネクタイ姿と向き合つて、彼はとつおいつ、残りの鮨を如何にすべきか考え続けた>
いっそのこと屑(くず)入れに放り込んでしまおうかとも考えるが、人の心尽くしの食物を土足にかけるようなことはできない。あれこれ思案するうちに、この列車の終着、上野駅の地下道にいつも何人か屯(たむろ)している浮浪者の姿が浮かび、彼らに渡そう、蔑(さげす)む気持ち、恵む気持ちがなければ、構わないのではないかと考える。

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上野に着くとすぐ地下道へ行き、スポーツ新聞を読んでいた、どす黒い顔の浮浪者に近づき、よかったら食べてくれないかと紙袋を差し出す。すると思いがけないことに、その浮浪者は立ち上がり、きちんと不動に近い姿勢をとって、体を斜め前に倒して一礼し、「戴きます。有難うございます」と両手で紙袋を受け取った。
「彼」はこの浮浪者が軍隊経験者であったかは分からないものの、「起立、礼」という昔の男なら必ず一度はしつけられた作法のお辞儀をして「戴きます」と言うので驚いた。家に帰って妻に話すと、「ジーンと来たんじゃないの」とからかわれる。「まあそうだ」と応じ、フィリピンのルバング島で発見された小野田少尉を思い出したなどと話す。
戦時中、海軍予備学生として海軍に入り、「ポツダム大尉」として中国で終戦を迎えた戦中派の微妙な心理が伝わって来る。短編ながら、阿川文学の重要テーマである戦中派の心、さらに大好きな「食」と「鉄道」の3要素が、折の中の鮨(すし)のように詰め込まれている。家族へのやや屈折した思いも隠し味としてきいている。
主人公は最後に、果たしてあの浮浪者は軍隊経験者だったのかを確かめようと、用事のついでに上野駅の地下道にいってみる。しかしそれらしい浮浪者はいなかった。この終わり方は、阿川の師である志賀直哉の『小僧の神様』を思い起こさせる。
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この短編の舞台となった上野駅は近年大きく変わった。公園口と東京文化会館の間を遮っていた道路がなくなり、動物園や博物館へのアクセスがとてもよくなった。駅構内のショッピングモールも洗練された賑(にぎ)やかなものになった。それでも、構内中心部には所々に昔風の装飾が残っている。
戦後の混乱期、上野駅周辺には多くの戦災孤児、浮浪児が屯していた。地下道がその根城だったようだ。この作品の主要舞台もその地下道だ。地下鉄銀座線との乗り換えの際に何度も通ったことがあるが、最近は歩いたことがない。

ほぼ何年ぶりかで行って驚いた。JRの不忍口から歩いて、地下道の入り口に来ると、「文化の杜路」と書かれてある。坂を下りて行くと、壁面が整備され、上野周辺の文化施設や文化イベントの案内が張られていた。たくさんの外国人観光客がその前を通ってゆく。
初めて来た人には、かつて戦災孤児や浮浪者が屯していた場所とは想像もつかないだろう。かくも昭和は遠くなりつつあるということか。時代の流れは速い。それでも阿川の作品は昭和の風景、昭和の心を伝え続けるだろう。
(特別編集委員・藤橋 進、写真も)
『鮨』新潮社

「新潮」平成4(1992)年1月号に掲載。単行本としては平成25(2013)年に『鮨 そのほか』(新潮社)に収められる。東北方面の町のセミナーの、おそらく講演者として参加した作者本人とみられる人物が主人公。お弁当代わりにと渡された鮨折をどうするか、上野まで約3時間の特急列車の中で思案し、上野駅の地下道の浮浪者に受け取ってもらうというだけの話だが、戦中派の作者ならではの微妙な心理の揺れが面白い。
師・志賀直哉を思わせる鮮やかな描写、端正な文章は、詩人の谷川俊太郎が「阿川さんが板前だと、安心して日本語を味わえる」と評した。作家・阿川弘之の一筆書きの鮮やかな自画像の趣がある。






