トップ文化旅・レジャー薩摩隼人が生きた城下町ー司馬遼太郎『翔ぶが如く』

薩摩隼人が生きた城下町ー司馬遼太郎『翔ぶが如く』

側近を通し西南戦争描く

「濃い群青の錦江湾に浮かぶ桜島の山容とその色彩が、どの名陶をも見すぼらしくさせてしまうほどの凄みをもって迫ってくる」と、司馬遼太郎は桜島の感想を残した。
鹿児島のシンボル桜島と錦江湾
鹿児島のシンボル桜島と錦江湾

噴火が絶えない活火山は現在も1117㍍の頂上から噴煙を上げている。鹿児島県の中央に位置する桜島は、県内の広い範囲から望むことができる。桜島は県民にとって心のシンボルだ

もう一つの鹿児島のシンボルは西郷隆盛だろう。鹿児島市の中心街「天文館」の近くにある銅像は、小高い植木に囲まれながら堂々と立っている。

鹿児島市の西郷隆盛像
鹿児島市の西郷隆盛像

どっしりと鹿児島を見守る様子は桜島の雄大さと似るものがある。どちらも観光客がしきりにカメラを構える。西郷(せご)どんのせんべいやキーホルダーもお土産の定番になるほど親しまれている。

明治維新から150年を記念して制作されたNHK大河ドラマ『西郷どん』(2018年)がきっかけで注目を浴びたが、それ以前に『翔ぶが如く』(1990年)が放送されていた。

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司馬遼太郎は『翔ぶが如く』で、征韓論から西南戦争までの激動の時代を捉えようとした。征韓論を主唱した西郷隆盛は、同郷ながら考えの異なる大久保利通らと対立し、政争に敗れ下野する。帰郷した西郷を待っていたのは、明治維新という時代に置いて行かれてしまった旧士族だった。明治という革命が生み出した士族たちの不満は、反政府のうねりとして暴走していく。

司馬は綿密な調査と現場取材によって、歴史的事実というノンフィクションを、記録には残っていない人間の内面をフィクションとして描写し補完した。

近代化を急ぐ大久保利通と、不平士族を背負った西郷隆盛の対立は、その側近たちを通して描かれる。大久保の属僚・川路利良と西郷の武将・桐野利秋を主要人物に選んだ。司馬はあとがきで「最初から最後まで西郷という虚像が歩いている」と表現し、西郷が人々の期待によって担ぎ上げられていったと解釈している。

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司馬の作品はただの物語ではない。「司馬の歴史小説の特質は、歴史上の問題を完結した事象としてあつかい、俯瞰するところにあり、加えて現代的裁断と解釈の妙味」を持ち、比較文明論や日本文化論を展開したと文芸評論家の尾崎秀樹(ほつき)は評価している。『翔ぶが如く』でもその都度、司馬の解説が入る。

<私学校の暴発は、遠因としては征韓論うんぬんというよりも同郷の大久保利通が主宰する太政官の相次ぐ旧体制崩壊への憎しみであり、近因としては大久保に協力して太政官的文明を推進しようとする川路利良が、「西郷への大恩を忘れて大久保へ走ったばかりか、刺客を送って西郷を殺そうとした」という事件であった。私学校の目標は要するにこの二人であった>

この妙味ゆえに司馬の作品は、多くの人にとって歴史への興味の入り口となった。

一読して印象に残ったのは、序盤に描かれる岩倉使節団でパリを訪れた川路利良の姿だ。遠い時代の人物なのに、新しい時代に向かう高揚感が手に取るように伝わってきた。歴史的事実の中に一人ひとりの人間ドラマがあることを気づかせてくれ、難解な歴史を人物の目を通して伝える試みが奏功している。いつ本を閉じても、読んだ後はしばらく明治時代から帰ってこられないような強烈な引力があった。

鹿児島城跡付近の地図
鹿児島城跡付近の地図

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西郷隆盛銅像から私学校跡までの道のりは「歴史と文化の道」と命名されているように、鶴丸城跡や美術館、博物館が立ち並ぶエリアだ。夏の太陽が肌を刺す日でも、観光スポットが一帯に集まっているのはありがたい。

7月下旬に見ごろを迎えるハスが咲き誇る鶴丸城跡の堀を渡り、復元された御楼門を進むと西南戦争の生々しい痕跡が残っている。石垣には無数の弾痕があり、1877(明治10)年9月、熊本・宮崎の戦いに敗れた西郷軍が城山に布陣し、最後の決戦に挑んだ。隣の区画にある私学校跡の石垣にも同じ痕跡が残っている。

鶴丸城跡の石垣に残った西南戦争の弾痕
鶴丸城跡の石垣に残った西南戦争の弾痕

城跡の裏から城山展望台までバスで移動すると、城下町と錦江湾に続いて桜島が眺望できる。木陰の高台は風通しも良く、歩いて登ってきた家族連れはひと休みしていた。ここは今も昔も変わらぬ絶景スポットだが、西郷隆盛が最期を迎えた地である。西郷軍はこの桜島を見て何を思ったのだろうかと考えを巡らした。

薩摩の武士や勇猛な気風を表す「薩摩隼人」という言葉がある。鹿児島生まれの記者(竹澤)の同級生にも「隼人」と名付けられた子がいた。しかし西郷や大久保をはじめとした明治維新に活躍した薩摩隼人たちの歴史を知らない若い世代が増えている。

日本の将来を真剣に考え行動を起こした偉人たちに「やっせん(鹿児島弁でダメだ)」と言われているかもしれない。頼りない時代を予見してか、先人の歴史を大衆向けに紡ぎ直した司馬遼太郎の功績は計り知れない。

(竹澤安李紗、写真も)

『翔ぶが如く』司馬遼太郎

司馬遼太郎『翔ぶが如く』

長編の歴史小説。「毎日新聞」朝刊に1972(昭和47)年1月1日~76(同51)年9月4日連載。司馬遼太郎のあとがきによれば、構想には15~16年かかり、「日本の統治機構」の本質への問いから執筆が始まったことが明かされている。

歴史小説としては、幕末ものに河井継之助を描いた『峠』(1968年)や、吉田松陰と高杉晋作の『世に棲む日日』(71年)を手掛けた。明治期には『坂の上の雲』(69年)で日露戦争の時代を描き、明治という変革の時代の意味を問い直している。

西南戦争を軸に明治時代を捉えた『翔ぶが如く』は、司馬が作家として円熟期を迎えた時期の作品。初期の作品よりも歴史観や人物描写が深く、司馬史観の集大成の一つとされる。

 (写真は文春文庫)

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