トップ文化旅・レジャー青年たちの結婚巡る悲劇ー遠藤周作『さらば、夏の光よ』

青年たちの結婚巡る悲劇ー遠藤周作『さらば、夏の光よ』

文化学院での体験を基に

<お茶の水駅で下車して、改札口に近い構内の電気時計を見る時は、必ずといっていいほど、針は十時を十分ほどすぎていた>
小説の登場人物の一人、遠藤周作先生はB学院の講師で、フランス文学の授業を担当している。「また遅刻をしたな」と思いながらも、足を早めることはせず、静かな屋敷町に向かって歩いていく。
古い建物を保存した文化学院発祥の地
古い建物を保存した文化学院発祥の地

一方、駅を出た学生たちの群れは「明大通り」と呼ばれる坂道の方に行く。

<戦後の東京にこんな落ち着いた静かな一角が空襲から焼け残っていたのかと思われるほど、この付近はしっとりと品のある屋敷が多かった。私はここを学校に出かける往き帰り、ゆっくりと歩くのが好きだ>

作者は1954年4月、31歳の時、文化学院の講師になった。その時の体験が基になってこの作品の舞台が設定された。

静かなオフィス街の「かえで通り」
静かなオフィス街の「かえで通り」

通りの先には日仏会館があったというから、ここは「かえで通り」。だが、途中で左折して「とちの木通り」に出て少し行くと、B学院に着く。通りの二つの名前は街路樹に由来する。かえで通りはトウカエデの並木で、もう一方はトチノキの並木だ。

二つの通りは今、ビルの林立するオフィス街になっている。落ち着いた品のいい通りで、歩いていても気持ちがいい。講師をしている学校についてこう記している。

「さらば、夏の光よ」関連地図
「さらば、夏の光よ」関連地図

<このB学院は有名な女流歌人、Y女史の創設した自由主義の強い学校で、院長のN氏は戦争中もその信念を守り通し、戦後も個性ある教育で学生たちを育てていた>

Y女史は与謝野晶子、N氏は西村伊作のことで、作家や詩人、音楽家らが教鞭(きょうべん)を執っていた。山田耕筰、有島生馬、高浜虚子、菊池寛、佐藤春夫、川端康成とそうそうたる講師陣。1921年の創設で、2018年に閉校。今は日本BS放送株式会社になっている。

しかし古めかしいエントランスはそのままで、前庭ではサクラ、イチョウ、ケヤキ、クスノキなどうっそうと葉を茂らせている。

女子学生たちから先生は「周作」と呼び捨てにされ、野呂という学生はレポートの担任講師の名前の箇所に「遠藤臭作」と書いて叱られる。

先生は紋切り型の授業が嫌いで、「俺が言ったことをそのまま、レポートに書いたら零点だぞ」とくぎを刺し、講義はしばしば脱線して、見た映画や、読んでいる小説のことをしゃべる。

野呂と親友である南条は遠藤先生に親しみを感じ、先生の自宅を訪ねて相談を持ち掛ける。野呂は先生への手土産に、鳥かごに入れたジュウシマツを持参。先生は喜んでくれた。

相談というのは、南条がほれている美術科の戸田京子についてで、手紙を出したが黙殺されるばかりなので、どうしてなのかを聞いてほしいという。先生は南条の悲痛な目を見てしぶしぶ承諾する。

休館中の「山の上ホテル」
休館中の「山の上ホテル」

講義の日、先生は授業を終えると美術科に行き、京子を呼んで誘い出し、マウンテン・ホテルの食堂に行く。先生はそこで京子から南条の滑稽なラブレターを見せられて、彼女が無視した理由に納得する。それでも京子の気持ちを聞き出すことに成功するのだ。

学院の近くにあるマウンテン・ホテルは、作家たちがよく仕事場に使うという所で、「山の上ホテル」がモデル。丘の上にあって建物まで天を指してそびえている。

白いシートに囲まれて表示があった。2024年2月に休業し、11月に学校法人明治大学が土地建物を取得したという。今後ホテルとして再開するかは未定である。

多くの作家や文化人に愛されてきたこのホテルも一旦(いったん)、その歴史を閉じていた。かつてここに集ってきた作家や文化人らが、世から消えてしまったということでもあるのか。

この作品はユーモア小説のような始まり方をしているが、物語の進行とともに重く苦しい悲劇の趣を呈してくる。冒頭のプロローグで先生の言葉がそれを暗示している。

<あれから八年を経過した今日でも、私はあの坂道でのなんでもない出会いのことをはっきりと思い出す。

たったこれだけのことだが、しかし何でもないあの出会いが、その後になってどんな大切な意味があったのか、私はもちろん知ることができなかったのだ>

先生の助言と演出で南条は京子と婚約できた。しかし結婚前に関係を持って、京子は妊娠する。そして悲劇が襲う。南条が事故死するのだ。南条が京子に恋心を抱く前から京子に思いを寄せていた野呂は、京子を放っておくことができずに結婚を申し込む。京子の両親は世間体から受け入れるよう懇願する。

京子は両親のためにいやいやながら野呂と結婚した。だが、赤子は死産。そして京子も手紙を残して浅間山に姿を消す。学生たちの愉快な会話は悲劇と化し、恋愛や情欲や結婚というものに潜むエゴイズムが暴露されていく。

物語は先生を含めて4人の視点から描かれていく。「プロローグ」「南条の場合」「戸田京子の手紙」「野呂の手紙」と、それぞれの見方の食い違いがドラマを構成する。分量が多いのは戸田京子の手紙で、最後に置かれているのは残った野呂の手紙。野呂はこう綴っている。 

<ぼくは彼女を幸福にするつもりだったのに、かえって不幸にしていったのです。男と女との愛がこれほど矛盾しているとは考えてもいませんでした。人間と人間との交わりは善意や愛情だけではどうにもならぬことを、これほど思い知らされたこともありませんでした>

雑誌に連載された最初のタイトルは「白い沈黙」。神の沈黙というテーマはその後キリシタン弾圧を扱った『沈黙』に結実するが、ここでは4人の出会いと結婚を巡る救いのない運命の中に暗示されている。

(増子耕一、写真も)

 『さらば、夏の光よ』遠藤周作

「さらば、夏の光よ」(講談社文庫)
「さらば、夏の光よ」(講談社文庫)

「白い沈黙」と題して、『新婦人』に1965年3月号から66年2月号まで連載された。同年11月「さらば、夏の光よ」に改題され、桃源社から刊行。76年2月講談社から刊行。

「さらば、夏の光よ」の言葉はボードレールの詩集『悪の華』の「秋の歌」の一節から取られた。改題された理由はこの小説の完結した翌月、『沈黙』が新潮社から刊行されたためだ。76年3月には松竹で山根成之監督により映画化された。

人間の意志では変えることのできない運命と、神の沈黙というテーマは、『海と毒薬』からこの作品を経て、『沈黙』へと続いていく。ユーモラスで滑稽な作家の一面と、極めて深刻なテーマを扱った一面とが同居したような青春小説だ。写真は講談社文庫版。

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