トップ文化旅・レジャー文豪に愛された団子坂 言文一致で近代小説を牽引ー二葉亭四迷『浮雲』

文豪に愛された団子坂 言文一致で近代小説を牽引ー二葉亭四迷『浮雲』

二葉亭四迷(ふたばていしめい)(1864~1909年)の代表作『浮雲』の登場は、日本文学史における事件だった。
東京都文京区団子坂周辺地図
東京都文京区団子坂周辺地図

<年齢(ねんぱい)二十二三の男、顔色(がんしょく)は蒼味(あおみ)七分(しちぶ)に土気(つちけ)三分>と文中で紹介される主人公・内海(うつみ)文三(ぶんぞう)は、早くに父を亡くす。それでも成績優秀で学校を卒業した後、1人上京して役所で働き、故郷の母親を支えていた。文三が下宿させてもらっている叔父の家には、美しい娘お勢(せい)も暮らしていた。2人は叔父夫婦も暗に認める恋仲だったが、文三は人員整理のため突如解雇されてしまう。失職で文三とお勢の関係は一変する。

元同僚の本田昇が恋敵として現れる。文三とは対照的に、処世術のうまい昇にお勢も次第に引かれていく。仕事と恋の悩みに悶々(もんもん)としつつも、復職のために行動もせず、邪魔者扱いされる文三は下宿先を出て行くことができずに自分の部屋に閉じこもっている。

屋敷跡の庭園が残る須藤公園
屋敷跡の庭園が残る須藤公園

<六畳の小座舗(こざしき)に気を詰(つま)らして始終壁に対(むか)ッて歎息のみしている>

   ◇   ◇

この本を開くと、古風な表現や難しい単語が目に付く。しかし、慣れていくと落語のようにテンポ良く読み進めることができる。これは文章が書き言葉(文語体)ではなく、言文一致体という話し言葉(口語体)に近い文体で書かれていることが関係している。

当時それまでになかった言文一致体という新しい手法で、鮮やかに描き出された男女の心情の機微が世間の注目を集めた。当然、文壇にも衝撃を与えた。二葉亭四迷は『浮雲』がデビュー作でありながら、一流作家の仲間入りを果たした。その後、言文一致体が一般的になるのは十数年後であることを見ても、『浮雲』がどれだけ先進的な試みだったかが分かる。

『浮雲』の価値は、それだけではない。当時の文明社会に対する批評が鋭く加えられている点も高く評価された。

文三が失職を明かしてすぐに、それを聞いたお勢とその母お政(まさ)が親子喧嘩(げんか)を始めた際には、次のように表現している。

<どうしてどうして親子喧嘩……そんな不道徳な者でない。これはこれ辱(かたじけ)なくも難有(ありがた)くも日本文明の一原素ともなるべき新主義と時代後れの旧主義と衝突をするところ、よくお眼を止めて御覧あられましょう>

作中には異なる主義主張の人物たちが登場するが、明治維新後、急速に近代化が進み新旧がぶつかる時代をそのまま映し出している。時代の変遷期を生きた作者自身も、自己の内に葛藤を抱えていた。理想とする生き方を模索したが、それは幼少期から教育されてきた儒教や武士の哲学を土台に、露文学や当時の社会主義、さらには西洋の考えをないまぜにしたものだった。

作者は「あれは皆僕の性質を出したものだ。僕には文三もあれば昇もあり、お勢もあれば、 お政もある、皆僕の片割(かたわれ)だ」と言葉を残している。

作中終盤では、周りを見渡せば華やかに見えても心のうちは「見るも汚わしい私欲、貪婪(どんらん)、淫褻(いんせつ)、不義、無情の塊で有る。」と表現し、当時の社会を強い言葉で批判した。

語りは文三とお勢を分析し、「人の頭の蠅を逐うよりは先ず我頭のを逐え(他人の世話の前に、自己の問題に向き合え)」とことわざで一蹴する。学問や知識に固執しても幸せが訪れなかった文三のように、精神的支柱と幸福の保証がない学問への疑念があった。

これは刊行されてから138年を経た現代にも通じる問いだろう。

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<「明後日団子坂へ菊見(きくみ)という奴は」

「菊見、さようさネ、菊見にも依りけりサ。」>(第6章)

第7、8章「団子坂の観菊上・下」に登場し、お勢と昇の距離が縮まる場面が描かれた団子坂は、東京メトロ千代田線の千駄木駅に今も面影を残している。

菊を人形に仕立てた菊人形は、江戸から明治の時代、団子坂の秋の風物詩だったと浮世絵にも残っている。現在も大圓寺で10月に開催される「谷中菊まつり」で再現され、地元の人に受け継がれている。

執筆当時から営業している菊見せんべい総本店
執筆当時から営業している菊見せんべい総本店

さて、千駄木駅から徒歩1分の所に、菊の名前が付いた老舗菓子店「菊見せんべい総本店」がある。看板商品の四角い「菊見せんべい」は、しょうゆ味でかみ応えがある。この店は1875年に創業し、菊見の見物客でにぎわったと伝わる。1枚からでも購入できるため、外国人観光客も気軽に立ち寄っていた。

向かいの通りには1864年創業の江戸千代紙の老舗「菊寿堂いせ辰」があり、お土産を買うお客も。足が疲れたら、駅の反対側にある須藤公園でひと休み。加賀藩支藩の大聖寺藩の屋敷跡でもあり、5月までは藤棚を楽しむことができる。

江戸千代紙を扱う菊寿堂いせ辰
江戸千代紙を扱う菊寿堂いせ辰

駅から西に延びる団子坂は谷中霊園や上野公園に続いている。歩いていくと道中には複数の寺院が点在し、木造建築や街路樹の柳が風情を演出する。

東京大学や東京芸術大学にも近い地域で、この地域は多くの文学作品に登場する。特に、団子坂の菊見は、夏目漱石の『三四郎』や森鴎外の『青年』をはじめ、文豪たちに取り上げられ、読者にも愛されてきた。鴎外に至っては団子坂に面する観潮楼に30年も暮らした。その跡地に建つ森鴎外記念館でも文学の薫りを感じることができる。

   ◇   ◇

二葉亭四迷はロシア赴任から帰路のベンガル湾上、46歳で病死した。『浮雲』発表後、文壇を去り、約20年を経て執筆した長編小説『平凡』で、「愛に住すれば人生に意義あり、愛を離るれば、人生は無意義なり」と徒書(あだがき)した。最後まで理想的な生き方の答えを見つけられずに苦悩したと研究で判明している。作者が『浮雲』に託した問いは、言文一致体の力で、現代の読者にも届くことだろう。

(竹澤安李紗、写真も)

二葉亭四迷『浮雲』

浮雲(岩波文庫)
浮雲(岩波文庫)

長編小説。第1編は明治20(1887)年、翌年に第2編が金港堂より刊行。第3編は雑誌「都の花」にて連載。第1編は、坪内雄蔵(坪内逍遥の本名)名義で刊行した。「はしがき」で初めて二葉亭四迷を名乗る。のちに手記から小説の続きの構想が発見されたことから、中断された作品であることが明らかになった。ゴンチャロフの『断崖』などのロシア文学に影響を受け成立した。

旧思想の崩壊と新思想の未熟さの過渡期に、作者自身の思想の揺らぎが反映されたとの定説を持つ。日本初の近代小説とされ、落語家の三遊亭円朝や江戸時代の地本作家・式亭三馬と、ロシア文学から学んだ言文一致体の文章は、後世に多大な影響を及ぼした。写真は岩波文庫。

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