トップ文化旅・レジャー祖霊が鎮まる山の麓で 生と死、自分を見詰め直すー森敦『月山』

祖霊が鎮まる山の麓で 生と死、自分を見詰め直すー森敦『月山』

1974(昭和49)年に芥川賞を受賞した森敦の小説『月山(がっさん)』は、山形県朝日村(現鶴岡市)にある真言宗注連寺(ちゅうれんじ)に滞在した彼の実体験を基に書かれた。森は鶴岡市内にある別な寺の住職から紹介され注連寺を訪れる。1951(昭和26)年8月下旬のことだ。月山の麓のこの寺で過ごす日々。村人や「寺のじさま」との交流の中で、夏から秋へと移り変わる季節の風景、そして厳しい冬の情景描写を織り交ぜながら、死と生、自分自身を見詰め直す様子を克明に描いている。
別名「臥牛山(がぎゅうざん)」とも呼ばれる月山
別名「臥牛山(がぎゅうざん)」とも呼ばれる月山

<月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしない>と謎めいた問いかけをし、<月山が、古来、死者の行くあの世の山とされていたのも、死こそはわたしたちにとってまさにあるべき唯一のものでありながら、そのいかなるものかを覗わせようとせず、ひとたび覗えば語ることを許さぬ、死のたくらみめいたものを感じさせるためかもしれません>と、哲学的な思考を巡らす。

*  *

山形県鶴岡駅周辺の地図
山形県鶴岡駅周辺の地図

森は最初からこの寺で一冬を過ごす予定だったのではなく、大雪が降って帰れなくなり、雪が解ける翌年5月まで滞在する羽目になったというのが真相のようだ。注連寺の佐藤弘明住職によると、「当時、あまり住職がいなかったので(森さんは)住めた。その時は鶴岡のお寺さんが兼務してたから」とのこと。「森さんが注連寺で描いていたのは絵だけ。ものすごい記憶力で、東京に帰ってから小説を書いた」。小説が発表されたのは73年。およそ20年の歳月が経(た)っていた。

<死とは死によってすべてから去るものであるとすれば、すべてから去られるときも死であるといってよいに違いない>

古来、死者の霊が鎮まるあの世の山とされてきた月山の麓、俗世から隔絶された幽玄なる世界で、主人公の思考は研ぎ澄まされ、ますます深みを増していく。

作中、即身仏(そくしんぶつ)の話が出てくる。即身仏とは、主に日本の仏教(密教)に見られるミイラのことで、即身成仏思想を基底とする真言宗湯殿山系寺院におけるミイラをこのように呼称する。木食(もくじき)で難行苦行をした後、自らの意思で餓死した僧が即身仏になったと思われているが、実際は僧ではなく行者(ぎょうじゃ)の場合が多い。

森は、「行き倒れのやっこ(乞食)を即身仏にしている」という村人のうわさ話を信じ、小説に書いてしまったが、事実は違っていた。佐藤住職の話によると、即身仏はここから始まったそうで、注連寺の即身仏、鉄門海上人は非常に徳の高い行者だった。「信者さんが鉄門海さんはすごい方だという。行者から僧になった人で、お坊さんが即身仏として祀(まつ)られた超珍しい形」とのことである。

この辺りには即身仏が3体あり、まだ土に埋まっているものもたくさんあるそうで、森はここを通る六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)を即身仏街道と呼んでいた。功績を称(たた)えられ森は旧朝日村の名誉村民第1号となった。ちなみに森の出身は長崎である。

*  *

4月初めに記者(長野)が訪ねた注連寺は、まだ雪囲いがしてあった。拝観は休止中である。

作家・森敦がひと冬を過ごした注連寺
作家・森敦がひと冬を過ごした注連寺

「変わってるでしょ、注連寺って」と佐藤住職が話を続ける。「寺なのに注連縄(しめなわ:神道における神祭具)と言っているのだから。ここがしめ縄で、お湯の出る御神体、今、湯殿山神社になってるけど、あそこは奥の院でそこに入る入り口という形で、しめという形でしめを張って、ここから先は聖域だという流れを作って、現在・過去・未来、三世。湯殿山頂上まで行って死んで、また生まれ変わるという、そういう方たちは江戸時代何万人といた」と教えてくれた。

出羽三山は、山形県の中央にそびえる「羽黒山」「月山」「湯殿山」の総称。羽黒山は人々の現世利益をかなえる現在の山、月山は祖霊が鎮まる過去の山、湯殿山は新しい生命の誕生を表す未来の山とされる。この三山を巡ることは、江戸時代に庶民の間で「生まれ変わりの旅」として広がった。

注連寺は出羽三山参りの参詣所として江戸期、大いに隆盛したが、明治の廃仏毀釈(きしゃく)で急速に廃れ、多数あった周辺の宿坊もほとんど無くなった。荒れ寺だったものを先代が少しずつ復興させたが、「天井画と森さんがいなければ復興は無理だった」と佐藤住職は話した。

*  *

鶴岡公園にある大寶館。館内に作家森敦のコーナーがある
鶴岡公園にある大寶館。館内に作家森敦のコーナーがある

住職に礼を言い、注連寺を後にした。春を迎えた主人公が寺を去り十王峠(じゅうおうとうげ)を越えて鶴岡市へと向かう山道をたどろうとしたが、まだ雪で通行止めだった。迂回(うかい)して国道112号線で市内観光の中心となる鶴岡公園へと向かう。庄内藩酒井家が約250年居城とした鶴ヶ岡城址(じょうし)が公園となっていて、ここにある大寶館(たいほうかん)という大正4(1915)年創建の赤いドームと白壁が特徴の洋風建物内には、明治の文豪・高山樗牛(ちょぎゅう)や日本のダ・ヴィンチといわれた科学者・松森胤保(たねやす)など、鶴岡にゆかりのある先人たちの偉業を紹介する資料を展示してある。ここに森敦のコーナーがあり、直筆の掛け軸が展示されている。

 <われひそかに月山に入りしに知るひともなかりし>

帰り道、少し郊外に出ると、かなたに雪で覆われた白く輝くまどかな月山が牛の背のようにその姿をたたえていた。(長野康彦、写真も)

『月山・鳥海山』

『月山・鳥海山』
『月山・鳥海山』

中編小説。昭和48(1973)年7月に雑誌「季刊芸術」(26号)に掲載された。昭和49年、河出書房新社から単行本となり、第70回芥川賞受賞。森は当時62歳で、「老新人作家」として話題になった。

目に見えない何物かに引かれるように山形県庄内地方の荒れ寺にたどり着いた主人公。雪深い山間の村で一冬を過ごしながら、村人や「寺のじさま」との交流の中で、死と生、自分を見詰め直す。

spot_img

人気記事

新着記事

TOP記事(全期間)

Google Translate »