トップ文化旅・レジャー番頭修行の晴れ舞台江の島ー井伏鱒二『駅前旅館』

番頭修行の晴れ舞台江の島ー井伏鱒二『駅前旅館』

呼び込みの技競う

 この小説の主人公は上野駅前にある柊元(くきもと)旅館の番頭だ。
<名前は生野次平と申します。生まれは能登(のと)の輪島、早くから在所を離れました。六つのとき、お袋が事情があって私を東京へ連れ出して、駅前の春木屋という旅館に身を寄せました。>
片瀬東浜から遠望する江の島
片瀬東浜から遠望する江の島

お袋というのは父親の後添えで、母の実子ではなかったが、本当の子のようにかわいがってくれた。その旅館で育ち、学校を出ると春木屋の使い走りとなり、17歳で中番(なかばん)になった。中番は客の布団を敷きに来る男のこと。

お袋がなくなった後は籾山(もみやま)旅館に移って下帳場に座った。下帳場は宿帳をとり宿料の計算をするのが役目。だが昭和20年、大空襲で上野は焼け野原となり、焼け出されて能登に戻った。

それから3年後、もう一度、志を立てて上野に来て、建設中の柊元旅館の本帳場に納まった。角帯に羽織を着て足掛け9年になる。この小説は生野次平の番頭人生をつづった、昭和31年ごろの物語だ。

同業者には宿帳のうその記述を見抜く者、堂々たる風采の客だが一文無しと見破る者、人を見て泊まるか泊まらないかを区別できる者などがいた。

井伏鱒二は庶民を好んで描いた作家で、旅を愛し、日本中を旅行してきた。旅館の番頭は少なからぬ興味の対象でもあった。

生野には仲のよい番頭仲間がいた。彼らと春と秋、慰安会の旅行に出る。春木屋、水無瀬(みなせ)ホテル、房総屋、杉田屋の番頭たちだ。

彼らの旅は愉快で、諧謔(かいぎゃく)と風刺、詩情に富んだドラマが展開する。旅人をもてなす職の者たちが旅をする。その語り口が見事。生野には心を寄せる女性たちがいたが、ほろ苦い味を噛(か)みしめるばかり。

上野が主舞台だが、ほかに甲府の湯村温泉、江の島の片瀬の旅館街などが登場する。湯村温泉は慰安会の行き先で、江の島は違った意味を持った場所だった。日本全国で呼び込みをさかんにやる旅館があったのは長野の善光寺、日光、伊勢の古市、そして京都の4カ所。その呼び込みの上手な番頭たちが集まったのが江の島だ。

神奈川県藤沢市江ノ島周辺の地図
神奈川県藤沢市江ノ島周辺の地図

<明治、大正から昭和にかけて、戦前まで、江の島、とくにあの江の島へ渡る橋の手前、片瀬の旅館街は、番頭たちが呼び込みの腕比べをする晴れの場所でした。言うならば、番頭修行の大学校であり大学院でございました。ここで修行して来なくっちゃ一人前の番頭とは言われない。>

生野は27、28歳の時、江の島に行った。弁天様に願掛けのお参りをしてから口入れの親分のところに行き、松風楼に勤める。稼ぎの多い番頭は給料の8倍も稼いだが、生野はここで給料の6倍稼いだという。

松風楼の筋向いが洗心亭で、その番頭が水無瀬ホテルの番頭、高瀬だった。2人は昼は商売敵だが、夜は仲のいい友達。

*  *

竜宮城の形をした片瀬江ノ島駅
竜宮城の形をした片瀬江ノ島駅

さて、藤沢駅で小田急江ノ島線に乗り換え、終点の片瀬江ノ島駅で下車した。ホームから改札口に向かうと、わきに新江ノ島水族館の水槽があってクラゲが泳いでいる。そこを出て駅舎を見ると竜宮城の形だ。

駅前広場から境川の弁天橋を渡ると「すばな通り」。この通りは江ノ電江ノ島駅から江の島へと続く通りで、おしゃれなカフェや食事処、マリンテイストの雑貨屋、みやげもの屋が集まっている。江ノ島駅から観光客がやってくるし、駅に向かう人も多い。

かつて旅館街だった「すばな通り」
かつて旅館街だった「すばな通り」

通りの入り口に観光案内所があった。昔の旅館街について尋ねると、係員が古い地図を取り出して見せてくれた。井伏がこの小説を書いた頃の様子が分かった。この「すばな通り」こそ小説に登場する旅館街だった。旅館の並びはもう1カ所あり、東浜の国道134号に面した所。

この地図で旅館を数えてみると東浜、西浜、江の島を含めて32軒あった。

「すばな通り」を歩いてみた。高瀬が勤めた洗心亭はライオンズマンションになっていたが、境川に面した壁面に「洗心亭」の名前を留めている。また今も営んでいる旅館が1軒あった。

藤沢市観光協会の「地球の歩き方 湘南・江の島」の宿泊情報ページを見ると、江の島島内に5軒、片瀬・鵠沼(くげぬま)に6軒、紹介されている。昔のような旅館街ではなくなっていた。

*  *

<お客が、江の島電車の駅、または小田急の駅を降りてぞろぞろやって来るてえと、軒並みに旅館の番頭が店先に出て客を待ち受けている。山川は客を遠くから見て、泊まる客か休んでいく客か見分けをつけてしまう。>

山川は京都から来た番頭で、80歳を越える老人。高瀬もかなわなかったという呼び込みの名人だ。掛け声やお辞儀に何とも言えない呼吸があって、ねらった客を自分のところに入れてしまう。

地方からやって来る客たちがたくさんいて、番頭たちは出身地を見分けた。

<お客を見るには先ず履物から見る。無論、下駄の形にも地方色というのがあるが、履物が新しければ、これは山形だな、秋田だなとわかるんだ。次にお客の持っている携帯品を見る。風呂敷包を背負っているのは新潟県、バスケットはたいてい山形県、千葉あたりの人は袋にして背負っている。>

バッグやスーツケースはまだ普及していなかった。

作者は上野の柊元旅館の場合でも、全国からやって来る修学旅行生の県民性について述べている。青森県から生徒たちが来て宿泊すると、同郷の人々が面会に来て、夜遅くまで帰らない。「長っちり」と記した。これを読んだ弟子の作家、三浦哲郎は衝撃を受けた。三浦も青森県の出身で、井伏先生の家に行くと話に聞きほれて長居をしていたからだ(『師・井伏鱒二の思い出』)。同県のもう1人の弟子、太宰治も同様だったのだろう。

(増子耕一)

=メモ=

 『駅前旅館』

『駅前旅館』井伏鱒二
『駅前旅館』井伏鱒二

昭和31年9月から翌32年9月まで『新潮』に13回連載され、その後単行本になり、全集に収録された。

上野の柊元旅館が舞台だが、モデルになった別名の旅館が実在していて、その女主人が井伏の妻と女学校の友達だった。その女主人から、古道具屋で気に入りそうな鉄瓶と五徳(ごとく)を見つけたと井伏の妻に連絡があり、井伏夫婦が立ち寄った。そこに生野次平のごとき番頭がいたという。小沼丹著『清水町先生』(筑摩書房)に出てくる話だ。

井伏夫妻は連絡しないで寄ったため、連れ込み客だと間違われた。「番頭の寂しさを書こうと思ったんだ」とは作者の言葉だが、この作品は喜劇として映画化され、昭和33年に東宝系で公開された。森繁久彌、フランキー堺、伴淳三郎らが番頭を演じ、好評を博した。写真は新潮文庫版。

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