トップ文化旅・レジャー「無縁坂の女」に寄せる愛惜-森鷗外『雁』

「無縁坂の女」に寄せる愛惜-森鷗外『雁』

古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だということを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかというと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向かいにあった、上条という下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。
『雁』の舞台となった無縁坂、左が旧岩崎邸庭園。作中、お玉が住んでいたという右側の並びには高級マンションが並ぶ
『雁』の舞台となった無縁坂、左が旧岩崎邸庭園。作中、お玉が住んでいたという右側の並びには高級マンションが並ぶ

森鷗外の『雁』は、こんな悠揚迫らぬ筆致で始まる。鷗外が通っていた東大から上野・不忍池(しのばずのいけ)に通じる無縁坂に住むお妾(めかけ)さんお玉と医学生、岡田の淡くはかない恋の物語である。

飴(あめ)細工職人を父に持つお玉は、不幸な結婚に破れ、人の勧めもあって高利貸しの末造(すえぞう)の妾となる。父に楽をさせたいと言う思いからであった。そのお玉は、散歩で家の前を通る岡田を意識するようになり、ある日、家の前に吊(つ)るしていた紅雀(べにすずめ)を入れた鳥籠を青大将が襲ったのを退治してもらう。それを機会にお玉は、岡田への思いを募らせるようになる。

末造が千葉に遠出をする日、お玉は岡田を家に招こうとする。しかしその日に限り岡田は友人と連れ立っており、声を掛けることができず、岡田はその翌日ドイツ留学に旅立つ――。
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薄幸のヒロイン、お玉にはモデルがいた。児玉せきという女性で、鷗外が最初の妻、登志子と離婚した後、鷗外のお妾さんのような立場となり、明治35年に鷗外が荒木しげと再婚したのを機に身を引く。お玉は児玉から取った名前のようだ。

東京大学の鉄門
東京大学の鉄門

その写真も残っている。切れ長の目をした美人だ。『雁』の中で「結いたての銀杏返しの鬢が蝉の羽のように薄いのと、鼻の高い、細長い、やや寂しい顔」などと描写された容姿と酷似している。
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最初この小説を読んだ時、大抵の読者は、語り手とその友人の主人公、岡田に鷗外の姿を見るだろう。東大の医学部に学び、岡田は鷗外と同じくドイツに留学する。しかし、お玉のモデルが児玉せきであることが分かると、末造には鷗外の姿ないし目が投影されていると考えざるを得ないのである。

そういう目で読み直してみると、あまり岡田の心理描写などはないのに比べ、末造の心理描写が念入りであることに気が付く。末造の妻に対する冷淡な心理、すれ違った雀斑(そばかす)のある芸者を見て、大したことはない、お玉の方がよほど別嬪(べっぴん)だなどとほくそ笑んだりする。そんな妙なリアリティーがあって、それが、この小説に通俗的な悲恋物語に終わらない厚みと味わいを持たせている。

それにしても、そもそも鷗外はなぜこの小説を書いたのか、やはり幸薄い、せきへの思いがあったのだろう。岡田と悲しい別れをしたお玉の姿を、「女の顔は石のように凝(こ)っていた。そして美しく睜(みは)った目の底には、無限の残惜(のこりお)しさが含まれているようであった」と「僕」に語らせている。
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大江戸線の本郷三丁目を出て、まずは東大医学部の附属病院を目指し、「鉄門」にたどり着いた。無縁坂はその前の通り。坂を下って行くと、右手はどっしりとした石垣の上に赤レンガの塀が続いている。旧岩崎邸である。

小説の中では、お玉が住んだ妾宅(しょうたく)は、その向かい側にある。現在は高級そうなマンションが並んで建っている。静かな一等地だ。さらに下って行くと、「無縁坂」の表示が立っている。

淡い恋情に目覚めながら、結局は縁のなかったお玉と岡田。その縁のなさを象徴する舞台としても、この無縁坂は最適だった。昭和に入って、さだまさしの同名の歌でも有名になる。

不忍池に群れる雁や鴨
不忍池に群れる雁や鴨

坂を降り切ると上野の池之端に出る。すぐ前が不忍池だ。池之端という地名表示を見て、小説の中でお玉の父がそこに引っ越して住んでいたことを思い出す。池のほとりに立つと、池は枯蓮(かれはす)ばかりで、やや荒れ果てた感じだった。雁(がん)の姿も見えない。

『雁』の終わりは、岡田が逃がしてやろうと、警告のために投げた石に誤って雁が当たって死ぬ。そこにお玉と岡田の淡い交情の終わりが象徴されている。

日も傾いてきたので弁天堂にお参りして帰ろうと、池の中を弁天堂に続く遊歩道を行くと、途中ベンチのあるあたりで、たくさんの鳥がいた。鴨(かも)や雁が枯蓮の間を元気よく泳いでいる。ベンチに座る男性がやる餌を食べに遊歩道の上に上がっているのもいる。 外国人の観光客らしい若い女性が、嬉(うれ)しそうにスマートフォンで写真に収めていた。

(特別編集委員・藤橋進)

=『雁』=
「スバル」の明治44年9月号から大正2年5月号に連載。完結前に中断し、その後「スバル」も廃刊となるが、大正4年に最後の3章を書き下ろして同年5月、籾山書店から森林太郎の署名で発行された。

東大医学部の学生、岡田と高利貸しの妾お玉の淡い交情を描く。鷗外の学生時代の思い出が基調となっているが、お玉、岡田、旦那の末造をはじめ登場人物にさまざまな実在の人物が複雑に投影されている。特にお玉には、鷗外の妾であった児玉せきの姿が投影されている。本郷から上野にかけて、岡田の散歩コースも詳しく描かれ、明治初年の界隈(かいわい)の雰囲気を味わえるのも、この作品の魅力だ。

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