音楽市場シェア3%でも、いい歌は歌い続けるべき

明治の演説歌がルーツ
「演歌は、やっぱり日本人の心ですかね」
演歌歌手の武美怜さんは、言葉を選びながら、「月並みだけど」、と自身に言い聞かせるように言い切ったのが印象的だった。
武美さんは、物まね芸人を皮切りに、演歌歌手として30年以上の芸歴を持つ。現在はラジオ番組のDJや歌謡公演のプロデューサーなどを務めている。
「演歌」、そのルーツは、明治時代にまでさかのぼる。自由民権運動の中で政府批判を歌に託した「演説歌」の略で、政府批判の演説が禁止されたことによって「歌だったら」として生まれた。その後、「演歌師」と言われる人々によって1920年代に広められ、戦後に発展した日本を代表するポピュラー音楽(歌謡曲)の一ジャンルとなった。
演歌は、「こぶし」という伝統的な歌唱法があり、義理人情や郷愁といった日本的な情緒を歌い上げるのが特徴だ。
武美さんは「(日本の歌は)全部演歌と思っています」と話す。つまり演歌は「歌詞を歌い手が演じ、(観客に)伝えること」と話す。
名曲は歌詞を大事に
演歌には、歌詞を大事にする傾向が古くからある。その中で日本の演歌を語る上で代表曲として挙げるのが『あゝ上野駅』だ。
武美さんも「集団就職情景が浮かぶようで、聞いているだけで涙が出る」と語る。
「何処かに故郷の 香りをのせて 入る列車の 懐かしさ」で始まる歌詞の本作は、歌手・井沢八郎さんによって1964年に発表され大ヒットした。作詞は関口義明さん、作曲は荒井英一さん。東芝レコード(当時)から発売された。
作詞を担当した関口さんが、上野駅で見掛けた集団就職の少年たちを題材に作詞し、農家向けの雑誌の懸賞に応募し、1位入選を果たした。

当初は、大物歌手が歌うものと思ってた関口さんはがっくりと肩を落としとか。しかし、歌手を目指し青森から上京した新人歌手・井沢八郎さん歌う事が決まると、井沢さんの境遇が、集団就職の時代と相まって累計売上100万枚を記録した。
当時のヒット曲を生み出した作詞家、作曲家は歌詞を理解して歌っているのかを再三歌手に確認している。歌詞を大事にすることで名曲が生まれてきた時代でもあった。
「それは、それで曲をつけることは大変だったと思いますよ」
武美さんは、シティ・ポップやJ‐POPも演歌とするが、純粋な演歌については「無くならないが、どう歌い続けていくかがこれからの課題」とする。
「純粋な演歌とするならば、日本の音楽業界では3%のシェアしかない」
武美さんは「演歌歌手を集めた公演をやっているのですが、地下アイドル歌手を呼んだら、大ベテランのCDよりも売れた。この現実を大御所と言われる皆さんはどう捉えるか、今後の動きを注目しているところです」と話す。
歌の国際交流を企画
武美さんはその一方で来年、大規模な国際イベントを企画している。
地元・葛飾区から世界の方々に対して「差別のない街づくりのためのイベント」を大々的に開催することを明かしている。
題して「世界食べ物博覧会万博フェス世界に広げよう防災の輪」だ。
歌を通した国際交流も企画し「昨今の外国人に対する風潮に疑問を感じる」との思いから国際交流イベントの重要性を訴えた。このイベントには現職国会議員などを巻き込んで先を見据えた国際交流を考えている。最高顧問に平沢勝栄衆議院議員、名誉顧問に政治評論家の田村重信さんを据えた布陣だという。
「当然、歌の交流は企画していますよ」
「いい歌は歌い続けるべきだと思っているので」
武美さんの熱い思いは、日本国内から世界へと広がっている。
(ペン・佐野富成、カメラ・森啓造)
武美 怜(たけみ・れい) 18歳の頃から、TBS「そっくりマネまね大賞」、フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」などに出演。テレビ東京「全日本そっくり大賞」歌まね部門で、全日本チャンピオンに。2015年11月、千葉テレビ「カラオケ大賞21」に挑戦、チャンピオンとなる。





