愛らしいキャラクターで戦争描く
戦後70年企画から10年で映画化

原作者にとって感慨深い作品に
今年は戦後80年ということから、それを記念するイベントなどが企画されている。その中の一つに、「忘れられた戦場」と言われた戦いを描いた戦争漫画作品の映画化が決定した。12月5日公開予定の「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」だ。原作は、武田一義さんの同名漫画作品。映画制作においては共同脚本という形で参画した。
皇室の慰霊が端緒
武田さんが、漫画「ペリリュー ー楽園のゲルニカー」を手掛けるきっかけとなったのは、現在の上皇、上皇后両陛下が天皇皇后として2015年に、ペリリュー島への慰霊訪問を果たされたニュースを知ってからだった。
『証言記録生還 玉砕の島ペリリュー戦記』(学研プラス、2010年)や『玉砕の島々 サイパン・グアム・ペリリュー・硫黄島』(洋泉社、2015年)などペリリューや太平洋戦争に関する著作が多い作家・平塚柾緒さんの著書を読み、さらに平塚さんからも話を聞くなどして制作を始めた。
昭和19年に起きたペリリュー島での戦いは、日米合わせて5万人(米軍4万、日本軍1万)が激闘を繰り広げたが、あまり知られてこなかった。日本軍で生き残ったのは最終的には34人といわれている。
映画への想い

物語は、太平洋戦争末期のペリリュー島。漫画家志望の兵士・田丸均が任命されたのは亡くなった仲間の最期を遺族に向けて書き記す「功績係」だった。同期ながら頼れる上等兵・吉敷佳助と共に戦った南国の美しい楽園は、一変する。極力、無意味な玉砕よりも、持久戦に持ち込み不可能に近い勝機を願いながら日本軍1万人は米軍約4万人を前に極限世界の中で壮絶に戦い、懸命に生きた史実に基づく戦火の友情物語――。
戦後70年の企画に漫画が生まれ、10年後に映画化になることに関しては感慨深いと武田さんは語る。
映画化について今どんな心境かを尋ねると武田さんは言葉を詰まらせた。「いま言われて思い浮かべたのは、土田さん(生き残り兵士の一人、土田喜代一さん)が、自分(武田)の漫画のページを開いて、そのページはペリリュー島の飛行場を描いたコマだったんです。そうしたら、土田さんが指を差して『自分がここにいたんだよね』と話してくださった。それで土田さんが生きていたら、この映画を見て『ああ自分はここにいたんだよ』っていうふうに朗らかに笑ってくれるかなあって思ったりもします」と言葉を選びながら振り返り語ったのが印象的だった。
土田喜代一さんは、漫画制作のときに出会った日本軍兵士の生き残り34人中の一人で、武田さんとの出会いからしばらくして、2018年10月、98歳で息を引き取った。土田さんは、ペリリュー島の戦いを漫画化することに賛成で、武田さんの背を押した元兵士の一人だった。
ストレスを感じさせず
この漫画作品は愛らしい小さな3頭身キャラクターたちが戦場の悲惨さを伝えていくのだが、それでいて強烈さ、いわゆるストレスを感じさせない。得てして、悲惨さを伝えることに力が入り過ぎて悲惨さを強調すると逆にストレスを与えてしまう傾向にある。3頭身というのがミソなのかもしれない。これが、悲劇性を和らげる効果があるようだ。
またイデオロギー的なものも極力つけないように工夫していくとも話した。
ただ「映画はどうしても2時間程度枠に収めないといけません。そうなるとファンの好きなシーンをカットせざるを得ないのでそれも大変です」とも話し映画化への難しさも語った。
(ペン・佐野富成、カメラ・森啓造)
漫画家 武田一義(たけだ かずよし) 1975年北海道岩見沢市生まれ。2003年漫画家を目指し上京。奥浩哉のアシスタントとして働く。10年自身の闘病生活を描いた『さよならタマちゃん』が話題に。16年から21年にかけて『ヤングアニマル』(白泉社)にて『ペリリューー楽園のゲルニカー』を連載。同作は第46回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した。






