撮影契機に双方遺族が交流へ

戦中の状況を大切に
「平和教育にこれまで、共感することはありませんでした」
平一紘監督は、全国に先駆け沖縄で公開されている映画「木の上の軍隊」についてこう語った。
「(作品には)イデオロギーは一切排除しました。現代の考えであの当時の事を描いてはダメですし、失礼だと思いました。だからこそ当時のことを取材して映画を作ることにしました」とかみしめるように語った。
太平洋戦争を舞台にした作品は、反戦メッセージ性が強いものになりがちで、実際の当時はどうだったのかが、はっきりしないことが多く、それこそ反戦メッセージにひきずられてしまう作品が多い。
それでも「これまで(私自身)沖縄戦について向き合ってこなかったので、プレッシャーでした。舞台化された劇を(映像で)観(み)て、沖縄戦が背景だけですけど、2人の人間ドラマをエンターテインメントとして表現できるかもしれないと考えた」と撮影時の心境を正直に語っている。
物語は、太平洋戦争末期、戦況の悪化の一途をたどる1945年、沖縄県伊江島。沖縄出身の新兵、安慶名(あげな)セイジュン(山田裕貴)と宮崎から派兵された山下一雄少尉(堤真一)が出会い、戦争という過酷な環境下で、新兵と歴戦の軍人とのぎくしゃくしながらも次第に打ち解け、生き抜く姿を描いたヒューマンドラマだ。
安慶名セイジュンのモデルとなったのは、2009年に91歳で亡くなった佐次田秀順(さしだしゅうじゅん)さん、山下一雄少尉のモデルは1988年に78歳で亡くなった山口静雄さん。佐次田さんは沖縄県出身、山口さんは宮崎県出身で、この作品をきっかけに沖縄と宮崎で遺族同士の交流が始まるなど終戦80年の空白を埋めるように2年及ぶ監督の取材が、知られざる歴史の扉を開けるきっかけになった。
真摯に演じる
山田裕貴さんが演じた安慶名セイジュンは、「当時の伊江島の若者は、飛行機というものを知らずにいましたし、戦争もどこか遠くの出来事として捉えていました。どちらかというと今の自分たちの近い存在に設定しました」と話す。また、方言についても「当時は、方言を話すことが許されませんでした。軍事上、標準語が当たり前でした。それも事情があったのでしょう、方言は主に、親友と2人きりの時に話すようにしました」と設定を明かした。一方で、堤真一さん演じる山下一雄少尉については、「日本兵として数々の戦いを経験した歴戦の勇士が、どう時間を過ごし崩れていくのかを表現したかった」と語った。
さらにリアルさを求めるあまり、実際に蛆虫(うじむし)を食べるシーンを盛り込んだ。
だが、実際に使用された時間がごく僅(わず)かだったため俳優陣からは「あんなに一生懸命やったのにこれだけなのって」と後日談もあったとか。
心境の変化
監督自身にとっても大きな心境の変化と成長があったという「僕自身成長させられたのは沖縄戦に対する向き合い方でした。僕は本来向き合ったり、向き合うべきだった沖縄戦について正直目を背けていた部分があった」と自分自身を見詰め直すきっかけになったと明かし、さらに今作に若者が関心を示したことや三世代で観賞する姿に「伝えたい人たちに伝わった」と安堵(あんど)の表情を浮かべる。
映画を作るために、戦時中の価値観や証言などを学んだり、聞いたりと2年間かけて取材した中で心境の変化が起きたという。
「たくさんの人にたくさんの死の話をしてもらった。中には無理して言っている人がいるのかもしれないし、そうでないかもしれないが、その中で気付いたのは死というものが他人事(ひとごと)になっているということ。それはよくないと思った。(映画では)事実は事実として伝える。工夫の一つとしてコメディーを入れたりして素晴らしいものを作りたいと。今回の経験はモノづくりのベースにしていきたいです」と次回の制作に意欲を見せている。
(ペン・佐野富成)
(カメラ・森 啓造)
●プロフィール●
映画監督 平一紘さん(たいら かずひろさん) 1989年8月29日生まれ、沖縄県出身。
大学在学中に沖縄県を拠点に映画制作チームを立ち上げ、多くの自主映画制作に携わる。『アンボイナじゃ殺せない』(2013年)、『釘打ちのバラッド』(2016年)などを手がける。2025年には堤幸彦監督と共同監督として『STEP OUT にーにーのニライカナイ』などの制作に携わる。





