
2027年の大河ドラマ「逆賊(ぎゃくぞく)の幕臣(ばくしん)」の主人公小栗忠順(ただまさ)の評伝。著者は小栗家菩提寺、東善寺住職で小栗の研究者にして顕彰会の理事である。
小栗は日米修好通商条約批准書交換のため幕府使節として訪米し、太平洋周りの帰路、日本人初の世界一周を果たす。欧米視察の知見から、横須賀造船所の建設を手掛けたのをはじめ、日本初の株式会社設立、洋式軍隊の整備などを行い、幕末日本の近代化に貢献した。
ところが戊辰(ぼしん)戦争で官軍への主戦論を主張した小栗は勘定奉行、陸軍奉行を罷免され、知行地(ちぎょうち)の上州権田村(現群馬県高崎市)に移住し、帰農隠棲(いんせい)していたが、薩長軍によって、逆賊として42歳で斬首された。
明治45年、東郷平八郎は小栗家の遺族に「日本海海戦において完全な勝利を収めることが出来たのは、小栗上野介殿が横須賀造船所を建設しておいてくれたからだ」と感謝の言葉を述べた。ウラジオストク港に逃げ込もうとするロシア艦を追跡し、魚雷で撃沈させた船足の速い駆逐艦や砲艦、魚雷艇が横須賀で建造されたものだからである。大型戦艦は海外からの輸入だが、造船所がなければ修理ができない。
大隈重信も「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣にすぎない」と述べている。
ある幕臣から、「大金をかけて造船所を建設しても、出来上がるころには幕府はどうなるか」と言われた小栗は、「徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば徳川家の名誉ではないか」と答えたという。
小栗訪米のもう一つの目的はドルと小判の交換比率の見直しであった。小栗はアメリカ造幣局で小判や一分銀を分析し、その知見が後に役立った。また、パナマの鉄道が株式会社で建設されたのを知り、民間でのインフラ整備を構想した。合理主義を身に付けた武士だった。
多田則明







