
「無は、何もないことではない」
この逆説的な言葉が、本書を貫く。私たちは普段、身の回りのモノが実在することを疑わない。机も月も、自分自身も、そこに「ある」のが当然だ。だが、現代物理学は、その当たり前の実在性を揺さぶっている。
象徴的なのは、アインシュタインの「見ていない時に月は存在するのか」という問いである。量子力学の確率的な世界観を受け入れられなかった彼は、観測とは無関係に世界は確固として存在し、その未来も決まっていると信じた。
「神はサイコロを振らない」という言葉は、その決定論的な世界観の表れである。
「ラプラスの悪魔」もまた、世界を完全に予測可能なものと見なした。
しかし量子力学は、その世界像を根底から覆した。量子の世界では、観測することそのものが、対象の状態と切り離せない関係にある。
私たちは「見る・見ないにかかわらず、モノはそこにある」と考えるが、それは必ずしも絶対的真理ではない。モノが確固として実在するという感覚は、生まれながらに備わった絶対的な認識ではなく、あくまで経験則にすぎないのである。
さらに興味深いのは、ここで古代インドの思想家・龍樹(りゅうじゅ)の『中論』が登場することだ。すべてのものは、それ自体で独立して存在するのではなく、関係の中で成り立つ。量子力学と仏教思想という、遠く隔たった二つの世界が思いがけず響き合う。
そして著者が示すのは、「すべては実在ではなく情報」という見方である。情報には形も重さもない。前世紀まで信じられていた「実在」は消え去り、その意味で世界は「無」なのだという。
「無」を追求することで、私たちは初めて「ある」とは何かを考えることができる。本書を読み終えた後、月を見上げる。その月が本当に「そこにある」とはどういうことなのか。何気ない日常の風景が、少し違って見えてくる。
長野康彦







