
帝国主義の欧米列強に植民地にされるのを避けようと、列強をモデルに近代化を急いだ日本が、列強のような「帝国」になったのが1910年の韓国併合の時である。その最大の要因が、併合に反対だった伊藤博文が前年、安重根(あんじゅうこん)に暗殺されたことは、歴史の大きな皮肉なのだろう。
明治維新の功労者の一人、伊藤を韓国の初代統監にしたのは国内政治の主流から外すためであり、小村寿太郎ら維新第二世代による工作だった。彼らは日本の帝国化、軍事化を進め、やがてアジア・太平洋戦争の敗戦に至る道を開いた。アメリカの時代が終わりつつある今、著者は「国民国家が内包する暴力性を自覚してナショナリズムに振り回されない……足腰の強さが日本には備わっているか」と問い掛けている。
明治の日本が目指したのは国民国家であり、その概念の始まりはナポレオン戦争である。フランス革命で王政を打破したフランスは周辺諸国の干渉を受け、対抗するために王の軍隊に代わる国民の軍隊を編成した。その強さを証明したのがナポレオンだった。おびただしい血を流したフランス革命に対し、日本の廃藩置県は無血革命だったと著者は評価する。これによる中央集権化はドイツに先んじていた。
フランス革命がアメリカの独立を生んだように、革命は輸出されるものだ。明治政府が維新を輸出しようとした対象は朝鮮であり、同政府は軍事力を背景に開国を迫った。以後、日清・日露の大戦は、いずれも朝鮮支配を巡って起きている。
ヨーロッパと違うのは、中国も朝鮮も封建制の近世がなく、君主制のまま近代を迎えていたこと。唯一の例外が日本で、すでに平安時代から天皇は象徴化され、実権を持たず、権威と権力は分離されていた。下級武士が起こした日本の維新を輸出した結果、両国では宮廷の権力争いとなったことはアジアの悲劇だろう。世界史から見ると明治維新の違った側面が見えてくる。
多田則明







