
1942(昭和17)年6月5日から7日にかけて行われたミッドウェイ海戦は、太平洋戦争での日本軍の攻勢の「終わり」であり、45(昭和20)年8月15日に迎える敗戦への「はじまり」だった。
極めて重要な海戦だったにもかかわらず、今も解明されたはずの事実が無視され、否定された「伝説」や「神話」が通用している。このあいまいな事態に対して、軍事史の第一人者である著者が、事実として分かっていることと、議論の答えが出ていないことを分け、この海戦研究の最前線を示そうとした語り下ろしの書である。
太平洋戦争史の中の一部分を扱った戦史で、膨大な内容を簡潔に、分かりやすく語っている。始まりは海軍の分裂であり、終わりは隠蔽(いんぺい)の物語である。
海軍の作戦最高指導組織である軍令部と連合艦隊司令部という二つの組織の間に十分な意思疎通がないまま、対立を抱え込みつつ戦争に突入した。軍令部は南方の資源地帯を押さえれば長期不敗の体制が構築できると考えたが、司令部は短期決戦による講和しかないと考え、同床異夢のままだった。
検証は真珠湾攻撃に始まり、セイロン沖海戦、珊瑚海(さんごかい)海戦と進み、ミッドウェイ海戦では、事前索敵から出撃に至るまで、すべて失敗の連続だったことを明らかにしている。
大敗の報告は大元帥昭和天皇にも東条英機首相にもなされたが、大本営発表では虚偽の内容が伝えられ、海軍による隠蔽工作が行われた。釈明のための「物語」も作られた。
その一つが「運命の五分間」説で、あと5分あれば4隻の空母から飛び立つはずだった日本の攻撃隊が米機動部隊を撃破していただろう、という虚像が流布された。吉川英治も山岡荘八もその流布に努め、豊田穰もそれを採用した。
その嘘(うそ)を暴いたのがノンフィクション作家の澤地久枝氏だった。同海戦における日米の戦死者3418名全員の氏名を突き止めた。







