トップ文化書評『AIと人間 知の責任について』 三宅 善信著 神道者が生成AIを論じる意味 【書評】

『AIと人間 知の責任について』 三宅 善信著 神道者が生成AIを論じる意味 【書評】

集広舎 定価1650円
集広舎 定価1650円

 金光(こんこう)教教会長で神道国際学会理事長の著者は、神道者がAIを論じる意味について、「AIの時代において、最も問い直されているものこそが、神道が長らく言葉にせずに抱え続けてきた世界観だからである」と述べる。さらに、「AIは責任を引き受けない。だが、それはAIが『悪い』からではない。責任とは、死にうる存在にしか宿らないからである」と。

 同志社大学大学院で神学を学んだ著者は、キリスト教の原罪を次のように解読する。禁じた木の実をなぜ食べたのかとの神の問いに対してアダムは「女が与えたから」と答えたが、「ここで決定的に欠けているのは、みずからの判断をみずからのものとして担う姿勢である」と。同様のことを社会心理学者のエーリヒ・フロムも述べている。

 ニューラルネットの研究者・甘利俊一氏は1980年代の第2次人工知能ブームの時代、AIの研究は人間の脳を理解するためだと言っていた。第3次ブームの今、「知と責任」という人間存在の原点が問われている。

 ハーバード大学で仏教を学んだ著者は、「生成AIがどれほど進歩しても、誤りは消えない。だが神道的世界観において、誤りは終わりではない。穢(けが)れは、次の始まりの条件である」と、永遠に完成しない人間だからこそ希望があるとする。この世を「罪」ではなく「苦」ととらえた仏教の知恵を吸収した神道の世界観であろう。

 著者の考えが今日的なのは、諸宗教が始めている「平和のためのAI倫理」フォーラムなどで盛んに議論し、英語で国際社会に発信しているからである。

 一神教の世界観と終末論的歴史観を背景に、今や戦争が日常的な現象になっている。教皇フランシスコが世界の指導者にAIの倫理的規制の必要性を訴えたのは、AIによる責任の希薄化が次の世界大戦を招きかねないからである。

 (多田則明)

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