
考古学者には発掘調査を基に大胆に時代を語る人と、それを控える人とがいて、著者は前者。倉敷市の楯築(たてつき)遺跡(2世紀後半~3世紀前半の双方中円形墳丘墓)を巡るシンポジウムで、「楯築は前方後円墳の原点で、ここに誕生した特殊器台祭祀(さいし)は2世紀後半の倭国(わこく)大乱を鎮めたのではないか」と語っていた。
それは、中国史書が伝える卑弥呼と重なり、仏教を背景に古代王権を確立した推古天皇にもつながる。著者は2024年、62歳で早世し、本書は関係者が遺稿をまとめた絶筆。
古墳時代の歴史が編年体で書かれるようになったのは、放射性炭素や樹木年輪などによる年代測定法が進んだからで、点と点が線でつながるようになった。しかも、古墳時代は地球規模の気候変動期で、大陸では古代帝国から中世民族国家への転換期であった。つまり、世界史的組み換えの一環として、日本の古墳時代も成立したのである。中国史家の岡田英弘は「倭国は華僑がつくった」との説だ。
著者は、古墳からの出土品に鉄製の武器・武具が一本化されたことから、古墳時代中期は「近畿中央部の門閥氏族と各地の有力氏族との関係が、『応神新体制』のもとで一つにまとまった」と論じる。さらに、韓国での発掘調査の進展から、倭の実質的な支配を受けたような状況は全く認められないとし、最大規模の前方後円墳も倭王の墓ではなく、氏族長の墓だとする。
吉備(きび)のフィールドワークを四半世紀行ったことから、著者の「キビ古墳社会論」は興味深い。農耕と交易に恵まれた倉敷市周辺はキビ最大のマチを形成し、それが箸墓(はしはか)古墳を中心とするマチに展開したとする。評者が住む香川県東部には四国最大の富田茶臼山(とみだちゃうすやま)古墳があり、近くから畿内と同型の銅鏡が出土している。交易がマチを生み、そのネットワークが古代国家を形成したのであろう。
(多田則明)





