トップ文化書評「歌よみに与ふる書」正岡 子規著、永井 祐翻訳【書評】

「歌よみに与ふる書」正岡 子規著、永井 祐翻訳【書評】

(左右社 定価2420円)
(左右社 定価2420円)

 「紀貫之は下手な歌人であって、『古今和歌集』はくだらないアンソロジーである」(「再び歌よみに與ふる書」翻訳)と子規が新聞「日本」に書いたのは明治31年、若過ぎる死の4年前だった。明治26年に同紙に俳論を連載し、俳句革命を主導してから6年後のこと。

 もっとも現代歌人の訳者は、「批判の主眼は古今集や紀貫之以上に、それをなぞり続ける歌人たちに対してであることは全体を読めばわかる」と解説する。同じ批判は芭蕉の門人にも発せられており、深読みすると日本人論にもなる。

 江戸時代の自由闊達(かったつ)な狂歌の伝統を引き継ぎ、明治に流入した西洋文明の影響を受け、子規や夏目漱石ら明治の知識人が目指したのは、事実を正確に表現する近代日本語である。

 子規の俳句は写生主義と呼ばれ、見たままの風景を端的な言葉で表現した。自然科学的な表現とも言えよう。

 しかし、それだけでは詩にならない。散文を詩に変えるのは、頭で考えた理屈はなく心で感じた情景である。「正直に言って『万葉集』の後、源実朝の後はまったくだめになっている」(「歌よみに與ふる書」冒頭の翻訳)と子規が評価した『万葉集』は、人々が事物に自分の思いを託して詠んでいる。

 子規が高く評価し何度も引用している実朝の歌の中で、訳者が好きでたまらないというのは「時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ」。雨は命の水をもたらすが、多過ぎると災害になる。雨の神の龍王を叱り付けるような恐ろしい勢いだ、と。

 子規が新しい和歌に求めたのは、新しい文体以上に新しい内容で、「ただ自分が美と感じたものをなるべくよくわかるように表現するというのが本来の主眼である」に尽きよう。それは現代日本語の基本でもある。

多田則明

 (左右社 定価2420円)

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