トップ文化書評「山岳信仰と修験道」 鈴木正崇著【書評】

「山岳信仰と修験道」 鈴木正崇著【書評】

春秋社 定価4400円
春秋社 定価4400円

 著者によると、幕末に17万人いた修験者は、山岳修行で得た験力(げんりき)により、庶民の健康から経済、心の問題までの日常的な悩みの相談に乗り、解決を助けていた。それが慶應4(1868)年の神仏判然令と明治5年の修験宗廃止令で一挙に失職した影響は大きかった。

 神仏判然令は神社から仏教色を排除せよとの通達なので、対応を迫られたのは神社や社僧、別当らだが、修験宗廃止の影響は庶民全般に及ぶ。つまり日本人全体の信仰や宗教観の変更を迫るものであった。今日からは想像できない乱暴な政策だが、その始まりは慶應3年の「王政復古の大号令」で「諸事神武創業之始」に戻すという詔勅である。

 著者は、日本古来のアニミズム的な信仰が6世紀に渡来した仏教と融合して、複雑に変容してきた経緯を、「神と仏の多次元的関係性」としてモデルを示し論じている。それが①神―仏、②神―カミ、③神―ホトケ、④カミ―ホトケ、⑤カミ―仏、⑥仏―ホトケの次元で、カミは畏怖や驚愕(きょうがく)、安らぎなどの体験からくる物や場に宿る霊性で、それに対して神は名前を持ち、祀(まつ)られる存在、ホトケは死霊や霊魂で、仏は本尊のことで、同モデルは日本人の信仰を理解するのに役立つ。

 神仏混淆(こんこう)は古来、聖地であった山を拠点に進展し、律令(りつりょう)制を導入した飛鳥時代に、卑弥呼の鬼道からの宮中祭祀(さいし)を継承しながら、統治思想として仏教を導入したことに始まる。中国の山岳信仰に倣い、空海は高野山に修行寺を開いた。

 日本の宗教の実態を「神仏混淆」とした初出は慶應4年の神主の身分規定を定めた太政官布告で、神社を対象に「神仏判然」、外来の仏教の排除となった。神仏分離と庶民レベルでの廃仏毀釈(きしゃく)は仏教上位の江戸時代への反動であり、今の日本の宗教事情も、そうした歴史から見直す必要があろう。多田則明

春秋社 定価4400円

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