トップ文化書評「凪の人 山野井妙子」柏澄子著 【書評】

「凪の人 山野井妙子」柏澄子著 【書評】

(山と渓谷社 定価1980円)
(山と渓谷社 定価1980円)

 山野井妙子さんは世界的なアルペンクライマーだ。2002年には夫・山野井泰史さんと中国チベット自治区にあるギャチュン・カン(7952㍍)北壁に登り、その功績により夫婦で植村直己冒険賞を受賞。

 この登山で夫は登頂を果たしたが妻は不調で撤退。下降中、妻が雪崩に直撃されて転落。夫がロープで滑落を止めて生きて脱出することができた。酷烈な撤退を強いられて二人とも手足の指を切断することに。

 本書には静かな情熱を燃やし続けた妙子さんの、激しかった登山人生が詰まっている。が、著者は「凪(なぎ)の人」と呼ぶ。凪とは強かった風がやんで海の波が穏やかになった姿だ。

 夫妻は長年暮らした奥多摩から2020年に東伊豆の川奈に住まいを移し、温暖な自然の中で質素な生活を続けている。野菜も果物もすべて自家製。

 登山家でライターでもある著者は、2023年夏から2年間、毎月のように泊まりがけで山野井邸に通い、取材した。家族や友人たちにも話を聞いた。

 日記を見せてもらい、パスポートもすべて見て、記録から登山の日程を確認した。この豊穣な時間の中で、妙子さんはかつて他人に語ることの少なかった人生そのものを開陳した。

 本書にはクライマーとしての凄(すご)さだけでなく、人間としての尽きない魅力、美しさが書き留められている。交流を持った人たちはみんな魅了されてきたのだ。読んでいくとその感動がより深くなる。

 その一人に夫の父親、山野井孝有さんがいた。娘よりも妙子さんに会いたいと思う。何の隔たりもなく遠慮なく頼みごとができるからだ。

 インド在住のサルタジ・グーマンさんは画家でリエゾンオフィサーを務めた人物だが、妙子さんがギャチュン・カンでの困難に直面した時の強さに心打たれた。食べ物も天気も仕事も、何に対しても不平不満を言うことがない。何がそうさせるのか考えさせられたという。

 これは山岳文学の名作だ。

(増子耕一)

(山と渓谷社 定価1980円)

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