
著者は英国を代表する世界的チェロ奏者。本書はバッハのチェロ組曲集について、たゆみない研究と演奏体験から独自の考察をつづったガイド。
六つの組曲は内的で親密な音楽的思索からできていて、演奏会用の曲というよりは瞑想(めいそう)の音楽のように思われるという。またチェロの使い方はこの楽器固有の特性に完全にマッチしていて、後世の作品でそれをしのぐものはないと位置付ける。
著者はバッハの略伝を記し、背景となる家庭生活の様子を伝え、この曲集の秘められた謎に迫っていく。バッハがなぜ、誰のために、いつ、これを書いたのか、作曲の事情を述べ、伝承された楽譜資料の問題点についても語る。
オリジナル原稿は存在せず、筆写された手稿が五つある。それぞれ違いを明らかにするが、気に入ったものを選べばいいのではないのかと読者は考えがちだ。だがこの偉大な音楽を演奏するためには詳細に注意を払い、「凡庸で工業生産的な演奏」と「真理性とメッセージ性のある演奏」とを区別する必要があるという。そしてアーティキュレーションの観点からスーラなどの誤記を見破っていく。
この曲集はダンス楽章の集合体であるため、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグとそれぞれ固有のリズム感や性格、歴史がある。それを紹介した後、楽章ごとに作品を論じていく。これが圧巻なのだ。
まず曲の背景にあった内的な世界を突き止める。それはバッハの揺るぎない信仰生活だ。演奏家の著者も直感的に宗教的な含意があったことを感じてきた。これは理屈ではないという。
その含意とはこの曲集がキリストの生涯に触発された作品だったということ。その内容を組曲ごとに明らかにしていく。
「第1組曲ト長調BMV1007」は、キリスト生誕の物語。こうした解釈は音楽学的な論拠にも基づくもので、説得力がある。バッハ研究の最新の方向性を示した本でもある。
増子耕一
(アルテスパブリッシング 定価2750円)






