
神聖ローマ帝国が誕生したのは、962年2月2日。東フランク王オットー1世(大帝)がローマのサン・ピエトロ大聖堂で教皇ヨハネス12世の司式により神聖ローマ帝国皇帝に即位した。やがてイングランド、フランス、教皇領を除き、ヨーロッパのほぼ全域を支配し、1806年8月6日、皇帝フランツ2世が神聖ローマ帝国の正式の解散を宣言した
約850年ものローマ帝国史において、54名の皇帝が帝位に継いだ。
本書は、波瀾万丈なヨーロッパ史を背景に皇帝ひとりひとりの個人史、周囲からの雑多な評価、そして著者の極めてユニークな人物評価などを織り交ぜて詳(つまび)らかにした、わが国初の「全皇帝伝」である。実に面白い。通常の王制国家であれば、王位の継承を巡って一族内で骨肉相食(あいは)む争いに明け暮れていたであろうが、帝国ローマ時代の場合、こうした内部抗争あるいは内戦などは朝飯前であり、内憂外患こもごも至るであった。台頭するイスラーム勢力との闘い、エルサレム奪還を標榜(ひょうぼう)し膨大な財力と兵員を費やした十字軍遠征、全欧州列強を巻き込んだカトリックとプロテスタントの戦争が、ドイツ国民を半減させたと言われる三十年戦争、聖職者の叙任権に関する帝権と皇権の確執、皇帝の指名を巡って教皇党と皇帝党の抗争、教皇権が絶頂に達した13世紀において、教皇インノケンティス3世が言い放ったのは「教皇は太陽、皇帝は月」であった。
帝国君主はこのような世界で悪戦苦闘せざるを得なかったのだが、本書によると、「王も自活しなければならない」とはヨーロッパの中世の分権体制を衝(つ)いた至言である、と述べている。
帝国君主が君臨する王国内で、全国的な徴税権を持てず、収入源は直轄領土だけであった。かつては国王特権と称する関税権、市場開設権、狩猟権などは11~12世紀の間に諸侯に譲渡されていた。それ以降王家は慢性金欠病にかかっていたという。
(法政大学名誉教授・川成 洋)






