
大乗仏教の古典である龍樹の『中論』を、フランス哲学者が精緻に読み解いている。
本書は浄土真宗の僧侶を対象に、新潟県の三つの温泉地で語られた講義録を編集したもの。仏教学の学識を前提としているので、かなり難解ではある。
「色即是空」で知られる「空」の概念は、全てのものは相互依存しているという縁起の法則に基づき、一つ一つの事物や出来事は、他の多くの要因と相互に関連しながら存在しているとする。
例えば、独立した個人としての「私」にも、多くの「他者」が入り込み、関係している。さらに自然環境や社会も私に影響を与え、常に変わり続けているのが真正の私だとする。
表紙を担当したメディアアーティストの落合陽一氏は冒頭、「『空』の思想はデジタル技術によって生じる新たな自然観、いわゆる計算機自然(デジタルネイチャー)と呼応的に再構築される可能性を秘めている」と寄稿している。
読みながら感じたのはフッサールの現象学との相似性だ。
哲学者の西研氏によると、現象学とは「自身の体験を反省してその内実を確かめるという、一種の思考の方法」で、価値が相対化した時代に「共通理解をうち立てるため」に創作したという。意識と世界を同規模と捉え、意識することで初めて世界は存在するとの考えは、仏教の唯識に通じる。
落合氏は、それは人工知能(AI)の作る世界と親和性があるという。
マルクス主義のような独断的客観主義の弊害に悩まされてきた20世紀の世界は、価値相対主義でそれを乗り越えようとしたが、その結果、人類は理性による共通理解を得ることが困難になっている。
分裂しつつある世界を再統合するには、IT技術とそれを使いこなせる哲学・人々の生き方が必要で、空の思想が注目されるゆえんである。
IAAB EDIT、定価3960円
多田則明






