
石破首相が看板政策の地方創生を進めるため、居住地以外で継続的に関わる自治体を登録する「ふるさと住民登録制度」を創設するという。
77歳の評者は母の介護を機に48歳で実家にUターンし、東京とのマルチハビテーションを始めた。
目にしたのは、陶淵明の詩、田園まさにあれなんとす。そして集落営農に参加した。
瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)が企画された背景にも、人口減少による島々の衰退がある。精錬所の煙害ではげ山になっていた直島(なおしま)をアートで再生したのがベネッセの福武總一郎。そんな彼の事業に共感した香川県職員の発案で始まったのが瀬戸芸。
福武が総合ディレクターに招いたアートディレクターの北川フラムは、新潟県で開いた「大地の芸術祭」の経験から、作家の創作を補助し、住民との交流を仲介するボランティアが不可欠と考え、新潟での「こへび隊」から名称を「こえび隊」とし、香川県民を中心に内外に参加を呼び掛けた。本書は彼らの活動報告である。
島民から「こえびさん」と呼ばれた彼らが試行錯誤から定めた心得は、「島の人に会ったら元気に挨拶する。船ではマナーを守る。道に広がって歩かない。出たごみは持ち帰り、来たときより綺麗にして帰る」。常識的なことだが、生活者である島民への配慮である。
外からの目が島を変えた一つは、おばあさんらが歩くのに使うオンバに花の絵などのアートを施す「オンバ・ファクトリー」。彼女らは出歩くのが楽しくなったという。
男木島(おぎじま)に来たこえび隊の女性は、娘の希望で島に移住し、それを機に廃校になっていた小学校が再開された。小豆島の農村歌舞伎がある千枚田の谷に台湾の作家が創った竹の作品が人気になったので、島民が地元の食材を使う食堂を開いた。そんな人の輪の広がりと交流人口の増加が島おこしにつながっていく。
多田則明
現代企画室 定価2750円