
私たちは生活の中で、植物に心があるように感じる機会は多い。草花をめで、絵画に描き、詩歌に詠んで、心を寄せている。慶事があれば花を飾って祝う。誕生花、花言葉、門松、御神木など私たちの気持ちを託す例は枚挙にいとまがない。
では植物には心があるのか。本書はそれに直接答えるわけではないが、人間の心に類するものがあるのではないかと事例を紹介し、植物たちの心意気を語っていく。生命の根本が共通しているからなのだ。
著者の専門は植物生理学、植物の生き方を研究してきたという。彼らにもその極意というものがあり、著者はその極意が人間のよりよい生き方につながるに違いないと考えて筆を執ったという。
最初に語るのは植物は動物のように「動きまわりたい」と思わないのか、という問いについてだ。
動物が動き回る理由は生きるため、食べ物を得るためだ。植物も命を保ち、成長するには栄養とエネルギーが必要。だが植物は水と二酸化炭素と光を使って自分の力で食べ物を作るので、そもそも動く必要がない。動き回りたいとは思わない。
これが「光合成」という反応だが、科学はこれをまねすることができず、人知を超えるもので、植物のその努力は生半可なものではないという。
著者はここに「自分の食べ物は、自分で作る」という彼らの強い意志を読み取る。
さらに「子孫の繁栄を願う親心」「からだを守り、命をつなぐための心意気」と続くが、植物の生命を支える奥深い知恵と、神秘的な仕組みの数々が紹介され、人間の生命活動と相似していることを理解させてくれる。彼らもお腹がすくし、疲れるし、頑張るし、激しく命を燃焼させたいと思う。植物にも人間の心に相当するものがあると判断していいのだろう。彼らも法に従って生きている。人間にも道徳的法則がある。芸術家なら植物を人間の兄弟と考えるに違いない。
増子耕一
SB新書 定価1045円