
ロシア人作家の自伝的回想録で、4巻末から5巻に続くのは「家庭の悲劇の物語」の章。西洋に亡命したゲルツェン一家を二つの悲劇が襲った。
1851年11月15日、マルセイユからニースに向かう船に乗ったゲルツェンの母と次男が海難事故で亡くなり、次いで妊娠していた妻ナタリーが52年4月30日、出産の後、死亡し、嬰児(えいじ)も亡くなった。
妻の死には前史があった。著者夫妻がドイツの詩人ヘルヴェーク夫妻と出会い、ニースで同居した。著者が母の財産の救出や国籍の取得に忙しかった時、この狡猾(こうかつ)で卑劣な革命詩人は妻を誘惑して心を奪う。妻は苦しみ、衰弱して戻ったが、海難事故の衝撃で死の床に就いてしまう。
著者には子供たちのほか何が残されたのか。打ちひしがれ、心傷つけられ、良心は疼(うず)き、疲れ果てていた。告白に耳を傾けてくれる友が必要だったが誰もいなかった。
その年の8月、ロンドンに行って過ごしてみると、隠遁(いんとん)によい場所だということを知った。長男が一緒で残りの子らはパリに預けてきた。
孤独な生活の中で真実を取り戻したかった。ロシアにいた仲間たちとも話をしなければならなかった。だが手紙を書くことはできない。印刷物なら可能だ。そこで『過去と思索』の執筆を始め、自由ロシア印刷所を設立する。そして刊行したのが《北極星》だった。
回想はロシアでの学生時代にさかのぼり、バクーニンやサゾーノフといった、同じ思想的源泉の中で活動した人々のことからで、彼らが説いたのはあらゆる暴力、政治権力の横暴の否定についてだった。
交流を持った数々の革命家たちのこと、ロンドンで出会った各国の亡命者たちのこと、彼らの生活ぶり、伝統が作り上げたイギリス的生活の土台について記すが、ミルの『自由論』を読んで、これが時代の先を示していたことを知る。歴史群像を描いた第一級の史料だ。(金子幸彦・長縄光男訳)
増子耕一