トップ文化書評『四国の名城を歩く 徳島・香川編』松田直則・石井伸夫・西岡達哉編 戦国時代の郷土が分かる【書評】

『四国の名城を歩く 徳島・香川編』松田直則・石井伸夫・西岡達哉編 戦国時代の郷土が分かる【書評】

『四国の名城を歩く 徳島・香川編』 松田直則・石井伸夫・西岡達哉編  吉川弘文館 定価2750円

評者は48歳で香川県に帰ると文化財保護協会に入り、古墳の草刈りから城跡歩き、郷土史の勉強会などを楽しんでいる。本書執筆者の幾人かも知り合いで、正確な城の縄張図が掲載されているため城歩きには最適だ。発掘調査の結果、国の史跡に指定されるものもあり、郷土愛を高めている。

近年、戦国時代の四国がクローズアップされたのが本能寺の変「四国説」で、初めて四国統一を果たした長宗我部元親と関係の深い明智光秀が、織田信長の四国征伐を回避するために信長を討ったという話。その前には阿波の三好長慶(ながよし)が、信長に先駆けて畿内を統一し、わずかな期間ながら三好政権を実現している。そうした四国の戦国時代を、城歩きで体感しようというのが本書。

香川で有名な高松城(玉藻(たまも)城)には野面積みの石垣があり、信長の家臣だった生駒親正(いこまちかまさ)が安土城の築城から学んだと思われる。

海を埋め立てて造ったのも農地を潰(つぶ)さないためで、信長の合理主義に通じる。 讃岐(さぬき)の城の多くが海岸にあるのは、海からの敵に備えるためであった。城の多くが東部と西部の両極に集中しているのは、阿波と伊予への国境防衛のためで、両国の城も同じ配置になっている。

興味深いのは、雨が滴るような形の朝鮮式の滴水瓦(てきすいがわら)が使われていること。秀吉の朝鮮出兵に従った生駒氏が連れ帰った瓦職人の作である。同じ瓦は各地で発見されており、戦に敗れても、ただでは退かないのが戦国武将であった。

関ケ原の戦い後、全国的に築城ラッシュになり、讃岐だけでも400もの城があったが、1615年の一国一城令の発布で、多くの城が破却されることに。それでも、侵攻してきた長宗我部氏が造った階段状の曲輪跡(くるわあと)や畝状竪堀(うねじょうたてぼり)は残っているので、発掘により当時の状況が明らかにされつつある。

多田則明

吉川弘文館 定価2750円

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