トップ文化書評『高浜虚子』坪内稔典著 昭和初期の俳句人気を主導【書評】

『高浜虚子』坪内稔典著 昭和初期の俳句人気を主導【書評】

『高浜虚子』 坪内稔典著  ミネルヴァ書房 定価2860円

「流れ行く大根の葉の早さかな」の句について、虚子は「橋の上から小川を見ていると、大根の葉が非常な速さで流れていた。その瞬間、今まで心にたまりにたまって来た感興がはじめて焦点を得て句になった」と書いている。師の正岡子規が目指した「写生」が虚子に結実し、大衆に広がった象徴的な句で、明治の知識人が目指した、新しい日本語の誕生と言ってもいい。後に「天地流動の一端を切り取った感じ」と解説した花鳥諷詠(かちょうふうえい)論は日本人の心性とも言えよう。

虚子の著書『俳句入門』の冒頭にある、「元禄に興隆して享保に衰微し、天明に再燃して天保に墜落し、明治に至りてさらに復活せんとするわが俳句」は、江戸時代から明治にかけての俳句の略史で、子規や虚子、さらに夏目漱石らは江戸中期の文芸遺産を継承しながら、近代文学としての短文詩を確立したのである。

ちなみに漱石の『吾輩は猫である』は、虚子が編集・出版する「ホトトギス」に、虚子の勧めで掲載された。その様子は、再放送されたNHKドラマ「坂の上の雲」でも描かれていた。

随筆で「余は平凡が好きだ」と述べた虚子は、俳諧師を「通俗なる一種の職業」とし、俳句は、調子が平明で、切れ字があり、余意が多いのが大事だとした。虚子の本領は、題を掲げない雑詠で集めた俳句の選者として発揮された、と著者は評する。大量の句を選ぶ地道な仕事が「ホトトギス」の経営を成功させ、大正から昭和初期の俳句人気を主導したのである。

その一方、青年期からの小説家志望も実現させ、戦後、73歳で恋の小説を書いている。思考と実践による健康長寿の手本でもある。

「しろ山乃鶯来啼士族町」は松山を詠んだ句で、士族としての誇りを感じる。司馬遼太郎が秋山真之(さねゆき)を書いたきっかけも父が残した子規の本で、小さな国の開花期を支えた若者たちの町に行きたくなった。

高嶋 久

ミネルヴァ書房 定価2860円

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