村人が支えた寺院経営

本書は少子高齢化や家族葬の広がりで存続の危機に瀕(ひん)している現在の寺の話ではない。
今に続く寺檀制度が成立した江戸時代も、18世紀には人口減少に見舞われ、多くの寺が経営難に陥った。それをどう克服したか、史料を基に読み解いている。
戦前から戦後にかけて実証的な日本仏教史を確立した辻善之助が、寺檀制度により幕府の行政に組み込まれた仏教を「近世仏教堕落論」で批判し、学界でほぼ常識化していたが、近年見直しが進んでいる。
一つは、堕落したのになぜ今まで生きているのか。もう一つは、地域社会との有機的な関係が無視されている。著者は、村人たちが経営難の寺を支えた事例を広く紹介している。
中世以来、寺の特権は免税と警察権の不介入で、それを破ったため若い日の徳川家康は三河一向一揆に苦しめられた。織田信長、豊臣秀吉と寺社勢力の力を削(そ)いできた歴史は、家康の寺社奉行によって概成する。寺社に本末制度を整備させ、それを統括したのである。
きっかけはキリシタン禁制で、幕府の支配に服さないキリスト教と日蓮宗の不受不施派を排除するためで、そうではないとの証文を寺院に発行させたのである。それを持参しないと旅ができず、評者の住む四国に来るお遍路も携帯していた。
江戸時代初期に寺が急増したのは、統治の網の目を行き渡らせるため。しかし、少ない檀家(だんか)や後継者難で無住になる寺も少なくなかった。それを支えたのが村人たちで、寺の農地の年貢も村人が連帯責任で納めていた。
興味深いのは寺請の葬祭寺院より、加持祈祷(かじきとう)により信者を集める祈祷寺院の方が数が多かったこと。これは日本人の心性にも関わり、密教が続いている理由でもある。
秘仏を持ち出す出開帳には村人が娯楽を提供するなど、創意工夫により寺を支えていたという。
多田則明
吉川弘文館 定価1870円