トップ文化書評『神仏融合史の研究』吉田 一彦著【書評】

『神仏融合史の研究』吉田 一彦著【書評】

密教主導のアジア的神仏関係

名古屋大学出版会 定価6930円
名古屋大学出版会 定価6930円

著者はまず「神仏習合」ではなく「神仏融合」だと主張する。戦前、歴史学の権威・辻善之助が、明治の神仏分離以前の神仏関係を「習合」とし、日本の独自的な宗教現象だとしたことから広く認められてきたが、アジア各国を調査した著者は、実態に反するという。インドをはじめ中国、ベトナムなどにも同様の現象があり、さらに神仏習合には仏教が主、神道が従との意味合いがあるが、各地の神仏関係はほぼ対等で、それは仏教の寛容性からきており、多少の違いは各地の神信仰の違いによる。

日本の神仏融合は仏教伝来から200年後の8世紀に始まり、神が仏に救いを求める形で進んだ。これは「神道離脱」や「護法善神」の思想が中国から導入されたため。9世紀に入唐した最澄と空海は中国に倣い神が住む山に寺院を建て密教を広めた。これにより、神社には「神宮寺」が設けられ、神仏が並び信仰される聖地としての山が成立する。次いで、中国から「鎮守」の思想が入り、寺院の境内に鎮守が設けられるようになる。

11世紀に、日本の神々はインドの仏の現れとする「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」が生まれる。これを創出したのは仁和寺の真言僧で、「垂迹」は中国からの導入。永遠不滅である久遠実成(くおんじつじょう)の仏が肉体を持って現れたのがブッダという法華経の教えで、本質と現象の関係である。一方、「本地」は12世紀、真言密教から生まれた日本独自の思想という。

興味深いのは、仏が上という本地垂迹説を広めたのはむしろ神道で、それは地縁に縛られている神社が、仏教とつながることで普遍性を獲得し、全国展開するためである。以後、有力神社の分社が各地に建立された。

神信仰と親和性がある仏教は、ケルトなど現地の神々を駆逐した一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラームの「アブラハムの宗教」と比較すると、その違いが際立つ。

高嶋 久

名古屋大学出版会 定価6930円

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