
この英国人作家にとってイタリアは深い縁のある国。妻となるドイツ人のフリーダと駆け落ちして逃れたのもこの国。名作『息子と恋人』を完成させて独自の文明観を発展させたのもこの国だった。
1921年1月、シチリア島の東岸に住んでいた著者夫妻は、エトナ山の霊の息吹に誘われて旅に出る。アフリカかスペインか考えたが、西にあるサルデーニャ島に決めた。理由はそこが何もない場所だったから。「ヨーロッパ文明の網のなかにあるとはいっても、サルデーニャはまだ釣りあげられていない魚だ」。本書の副題は「紀行・イタリアの島」で、10日間ほどの旅だった。
エトナ山の麓から列車で北上し、メッシーナで船に乗り換え、パレルモを経てサルデーニャ島カリアリに渡る。汽車でマンダス、ソルゴノと北上。そこからバスで山の道をたどって下り、東海岸のオロゼーイから港町テラノヴァへ。帰路、船でイタリアのナポリへ向かう。
同じシチリアでも西側は東側と様相が違っていた。東のイオニア海の夜明けは間近で親しみやすかったが、西のアフリカ海の落日は壮麗で悲劇的、半ば邪悪なものを感じる。そこにあるエリクス山の女神アスタルテは、イオニア海のアポロとは違う謎めいて少し恐ろしい神だと思う。
予感はその通りで、荒れ果てた地、サルデーニャ島での体験ともなっていく。汽車の中で出会った男たちは「中世の顔を持ち、人の好さなど何もなく、野の獣のように自己を中心に生きている」と記す。彼らは「ルネサンス以後のイエス体験」がなく、「他人が自分によくしてくれるとは思っていないし、望んでもいない」と感じる。
未知の世界の人々に出会って驚嘆し、英国と比較しつつ、この辺鄙(へんぴ)な地にも民主主義の波が押し寄せてくるのを知る。小さなドラマの連続で、描写は詳細を極め、文明論を開陳する。(武藤浩史訳)
増子耕一
ちくま学芸文庫 定価1540円