
「わたしたちは、高みで経験することはまったく人それぞれの、個人的なものだと思い込みがちかもしれない。けれども本当は、わたしたちひとり残らず、ほとんど目に見えない、入り組んだ感性の系譜の継承者なのだ」
ケンブリッジ大学英文科教授で登山家の著者が主題としているのは、この感性の系譜だ。副題は「山への情熱の歴史」。この系譜は著者にも受け継がれて、歴史を語ることは自分の登山体験を語ることでもある。
西洋で長い歳月、山々は危険で嫌悪を催させるもの、魔女の隠れ住む所とされた。しかし18世紀の後半になると、人々は山岳風景を称賛し、山へ旅するようになる。1786年にモンブランが登頂され、19世紀の終わりにアルプスの高峰は登り尽くされる。そして登山家は「世界の屋根」へ視線を向ける。
この300年の間に山への認識が途方もなく変わってしまう。風景の見方は文化の産物で、心に山を抱くやり方が変遷したのだった。著者はこの変遷の過程を地質学の発達や、芸術史、探検史と共に語る。
マインドの転換点となったのは、恐怖を回避するのではなく、追求し始めたこと。初めは氷河に踏み込んだ猟師が体験したことだったが、リスクは試練と捉えられるようになり、危険の克服が「優れた人間」を生むという信条になっていく。
また自然神学の登場によって、自然界は神の偉大さが記された文書とされ、山の美を不快なものとする評価を逆転させて、山々の崇高な美が語られるようになる。
著者が最初に山登りをしたのは祖父母の住むスコットランド高地地方。また12歳の時、1924年のイギリス遠征隊の記録『エヴェレストへの闘い』を読んで探検に魅入られたという。帰らなかったマロリーは、著者の心に深く刻まれたようで、本書の最後にその記録が再現される。この感性の系譜を不滅のものにしたからだ。(東辻賢治郎訳)
増子耕一
筑摩書房 定価2970円