
著者は韓国文学の翻訳者。仕事は韓国語を読み、日本語で書くこと。その感触を、トンネルの中で二つの言語と自分がこだましている、と例える。
その体験の中から生まれたエッセーで、韓国語=朝鮮語がどんな言葉なのかを根本から示してくれる。日本語とは「似ていて/ちがう」。そしてこだまは「世界の謎の一端が解ける」体験をさせてくれたという。
この小さな本は本当にすごい。「マル言葉」「クル文、文字」「ソリ声」そして「シ詩」…と章が続く。言葉と文字と音声を関連付けて説明し、歴史や社会的事件や文学作品を素材に用い、考察は哲学的。
著者は文字の仕組みと発音の話から始める。体験が盛り込まれ交響曲を聴くかのようだ。
「マル」は言葉、言語、話、言い分などの意味があるが、道理、常識の意味もあり、「それは言葉になりますか」と言えば筋が通らないということ。
「クル」は書かれ、読まれるもの。マルとクルで世界が回る。朝鮮・高麗時代から「武」より「文」が上で、学者・文人への尊敬は強かった。厳しい歴史がそうさせたという。
現代の作家たちも同様で、文学作品は多くの回路によって歴史と社会に通じているという。まっとうな社会への強い願望からだ。日本にはない回路だ。
マルをクルにするシステムを考案したのが世宗大王。音を形にするとき、母音と子音を表すパーツをつくった。基本は東洋哲学で、天地陰陽説の「天・地・人」を表す形から母音字母をつくり、陰陽五行説から子音字母をつくった。だからそれらを組み合わせたハングルを口にするとき、「天・地・人」がスパークすると著者は言う。
マルやクルの背景にあるのが深くて豊かなソリの層だ。
詩がよく読まれ、社会の中で重要な位置にある。「痛い人が多いからだ」とある人が言った。「痛い」の「アップタ」にはつらさ、苦しさの意味があり、半島の歴史は激痛の連続。言葉が歴史を背負っている。
増子耕一
創元社 定価1540円