
何ともすごい本である。見開きで左㌻にスケッチ、右㌻にその解説文、それが全部で54編収録されていて、しかも描かれている場所は、ともかくも地球全体。どうしてこの地点を選んだのか、いかにしてこの地点にたどり着いたのか。不思議と言えば不思議である。まさに「地球スケッチ帖」というだけある。
例えば、チュニジアの首都チュニスの北郊に広がる「チュニジア・カルタゴ」のスケッチは、カルタゴ遺跡「トフェ」と呼ばれる地下空間から嬰児(えいじ)を抱いた神官の石碑、2万体もの炭化した幼児の骨壺(こつつぼ)などが1921年に出土したという。これは人身御供(ひとみごくう)の風習の一環とする「幼児生贄(いけにえ)」なのか、単に子供たちの共同墓地だったのか。それにしても、古代都市国家フェニキア人の末裔(まつえい)であり、西地中海の通商権を完全掌握(しょうあく)し「地中海女王」と謳(うた)われ、新興国ローマと地中海の覇権を巡って、あの若き智将ハンニバル麾下(きか)のカルタゴ人がこのような遺跡を残していたのだった。
ポルトガルの第3の都市「コインブラ」のスケッチは、モンデゴ川を見下ろすように屹立(きつりつ)しているモンテモ・ル・オ・ヴェーリョ城。壁が大きく湾曲していて、実にきれいな城。だが、コインブラといえば、特記すべき日本人がいた。日本にキリスト教を布教したザビエルには、当時15歳の河辺ベルナルドという少年がいた。
ザビエルの荷物持ち、通訳として付き添っていた。1551年ザビエルと一緒に日本を離れ、翌年、中国・上川島でザビエルが死去。53年、ベルナルドがポルトガルに到着し、55年、ローマで教皇パウロ4世への謁見(えっけん)が許され、56年2月、リスボンに帰還するも、57年3月、コインブラで永眠する。享年23。
ルクセンブルクのスケッチはヨーロッパで一番美しいヴィアンデン城。14世紀には神聖ローマ皇帝を輩出するほど栄えていたが、現在は人口70万にも満たない大公国。67の古城を抱える、「古城の国」である。
法政大学名誉教授・川成洋
人間社 定価2750円