
古代ギリシア世界の一方の雄だったスパルタは「スパルタ教育」で知られる。日本では明治初期、この都市国家の名が伝わった。
虚弱な男子は崖に捨てられた。30歳まで教育が続く。20歳~60歳の男は毎日の晩餐(ばんさん)が共同で行われた。
スパルタは個人も強いが、集団はもっと強い。出征して生きて帰ることは罪悪とされた。息子に向かって母は「死んでこい」と言う。生きて帰った息子を恥じて殺害した母親もいた。
誇張も含まれていようが、そんな厳しい側面はあっただろう。スパルタは記録を残すことが少ない。アテネのような文化的・民主主義的社会とは異質だ。
20歳~60歳の夕食グループでは、食料を盗むことが認められていた。「相手を欺く能力は戦場でも有効」という理屈だ。が、盗みに失敗すれば、鞭打(むちう)ちの処罰を受けた。
愚鈍は悪とされた。戦時には即答が重要だからだ。理由の説明が明確で、証拠を示すことが求められた。飽食は悪とされ、食事の量も最小限だ。
女性の権利は高かった。「戦士を産む」という理由で栄養十分の食事が許された。スパルタは10代後半以降の結婚が多い。女性が若すぎると、出産に不都合だからだ。
ギリシア世界では王制は早い段階で廃止された。例外的にスパルタには王がいたが、権力は弱かった。戦死した王もいる。
スパルタの王は、王権を行使する機会もなく、儀式と戦争(王が最高司令官)が中心だった。エフェロスと呼ばれる監督官は、王に出頭を命じる権利を持っていた。
アリストテレスは、今から2400年前の戦争で大敗したスパルタの衰退を指摘した。贅沢(ぜいたく)や貧富の差の増大は旧来のスパルタとは異質だ。強国もいずれ滅亡する。スパルタも例外ではなかった。
文芸評論家・菊田 均
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