トップ文化書評『ハンス・フォン・ビューロー』アラン・ウォーカー著 19世紀、ピアニスト・指揮者で活躍【書評】

『ハンス・フォン・ビューロー』アラン・ウォーカー著 19世紀、ピアニスト・指揮者で活躍【書評】

『ハンス・フォン・ビューロー』 アラン・ウォーカー著  図書新聞 定価4400円

ようやく我々は、本書によって、19世紀の音楽界を闊歩(かっぽ)したハンス・フォン・ビューロー(1830~94年)の全体像を掌握(しょうあく)することができる。ビューローは、ピアニスト、また指揮者として生涯3000回以上のコンサートを開いた。しかもコンサートにおいて自分の目の前に譜面を開かなかった。

つまり「暗譜」していたのだ。1882年、わずか48名編成のマイニンゲン宮廷楽団を3カ月に及ぶ連日の猛練習を経て、ベートーヴェン全9曲の交響曲を暗譜で演奏させた。それが契機となって、脆弱(ぜいじゃく)なベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代首席指揮者に就任し、名門オーケストラとしての矜持(きょうじ)と伝統の基礎を築いた。

ビューローは、1830年1月、13世紀に遡(さかのぼ)るドイツの高名な軍人で、男爵の家系に生まれる。39年、初めて音楽のレッスンを受け、やがて本格的なピアノと作曲を学び、バッハを嚆矢(こうし)として、ベートーヴェンとモーツァルトのピアノ・ソナタを巧みに弾いた。42年、ワーグナー《リエンツィ》の初演を観て、「ワグネリアン」になったと記している。48年、シュトゥットガルト宮殿劇場で、初めてピアニストとして公演した。その後両親の強い勧めで、ベルリン大学法学部に進学するも、やはり法律学には身が入らない。

50年、リストの指揮でワーグナー《ローエングリン》に接する。音楽の巨匠リストとワーグナーの、彼の母親宛ての熱い推薦の手紙にもかかわらず、彼は母親と反りが合わず、結局、音楽一筋の方を選んだ。2人の巨匠から「継承者」、「第二の私」と絶賛され、ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》と《マイスタージンガー》の記念碑的な世界初演を指揮した。「私は音楽の御父(おんちち)バッハ、御子(おんこ)ベートーヴェン、音楽の精霊(せいれい)ブラームスです。カトリックの『三位一体』を信じている」は、ビューローが遺(のこ)した箴言(しんげん)である。(最上英明・今岡直美・太田眞理・渡邊恵子訳)

法政大学名誉教授・川成 洋

図書新聞 定価4400円

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