
92歳の著者が思い出に残る人とその言葉をつづっている。若い頃、一緒に講演した小林秀雄は、ふと「人間は生まれた時から、死へ向かってとぼとぼ歩いていくような存在です」とつぶやいたという。
「死に向かう存在」だとハイデガーの哲学になるが、それを当たり前の死生観にしていたのだろう。著者は「真実というものは、軽々しく口にすべきものではない」と昔から思っていたという。声高に正論を吐く人に聞かせたい。
英国ウェールズ生まれで長野県黒姫山の麓に住み着いたC・W・ニコルは、「朝、起きるときちんとひげを剃る。髪をなでつけ、歯を磨く。顔を合わせると笑顔で、『おはよう』と挨拶する。そんな礼儀正しい男が、最後まで耐え抜くことができる」と語った。言葉は大事だが、それは行動で裏付けられて初めて本物となる。
大作『道元禅師』を書いた立松和平は、「(仏教の)因果とは人をしばる法則ではない。人生を変える思想である」と語っていた。今の辛い立場は前世の因縁だと諦めるのではなく、明日を変えるために今日を精いっぱい生きようという教えだ、と。
仏性があるのになぜ修行しないといけないのかとの疑問を抱え宋に渡った道元は、仏性があるから修行できると悟った。今、修行できる身に「救い」を実感したからこそ、只管打坐(しかんたざ)の坐禅(ざぜん)を開き、生活禅として日本に根付かせたのである。私たちはその恩恵の中に暮らしている。
地方の師範学校を出て教師になった著者の父は、昇格試験を受けるため毎朝、必死に勉強していたという。夕食にビールを一杯飲み、「寝るより楽はなかりけり。浮き世の馬鹿が起きて働く…」とつぶやきながらごろ寝していたのは、子供にむやみなプレッシャーをかけないためか。
父の言う「浮き世」は「憂き世」だったのかもしれない、と著者は思う。