
古都鎌倉はどのような町なのか。ガイドブックに紹介されているが、それは観光でやって来る人たちのための案内。名所旧跡や食事処(どころ)の紹介が中心で、観光産業の発展と連結し、それとは関係がない所は取り上げられない。
それだけで鎌倉の本質を知ることができるのだろうか。本書は鎌倉が登場する傑作文学やドラマを集めてそのまま紹介した作品集。ガイドブックとは違った視点からこの町を見せてくれる。それは登場する住民たちの視点だ。
作者名を挙げると源実朝、正岡子規、泉鏡花、高浜虚子、宮本百合子、嘉村礒多、小津安二郎、川端康成、立原正秋、永井龍男、田村隆一、黒川創、小川糸、そして太平記だ。住民の生活の様子が伝わってくる。
編者はこの町で育ち、「鎌倉は観光地ではなく、遠い記憶である」という。源実朝から始まり太平記で終わっているのも意味がある。解説がいい。
鎌倉文士という言葉があるように、鎌倉は文学の盛んな土地というイメージがあるが、文学が盛んになったのは明治以降。それ以前になると「不毛」だったと編者は言う。文学史の年表には鎌倉期の作品が幾つも登場するが、鎌倉で書かれたものではなかった。その例外というべき傑作が源実朝の『金槐和歌集』だった。
そして幕府滅亡後、鎌倉は再び歴史に登場することはなかった。「十二世紀の末(一一九二年)に出現した武家政権が、十四世紀初頭(一三三三年)に滅亡するまでの舞台となった中世の町は、おびただしい寺院を残したまま、近世では再び漁村にかえって、まるでタイム・カプセルにつめこまれたように明治二十年まで、ほそぼそと生きながらえてきた」(田村隆一「『ぼくの鎌倉散歩』より」)。
太平記は滅亡した時の様子を記録している。町の人が庭をいじっていると昭和の頃まで骨が出たという。この時の殺戮(さつりく)と破壊で死んだ者たちだ。それゆえ幽霊の話もこの町には多い。