
本書は、「ミステリーの女王」アガサ・クリスティー(1890~1976)の関係書と全く異なり、「料理」に関する本である。イギリス料理なんぞ、この世に存在するのか、というのが我々日本人の常識。
本書は、彼女の26歳のデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』から65編の長編ミステリーを刊行順に取り上げ、その作品の流れや作中人物に関わるプロット・デバイスとしての食事を取り上げ、その個々の「レシピ」で実に具体的に紹介している。
さすがヴィクトリア朝の残光に満ちた有閑階級に育った美食家クリスティーである。しかも彼女の第1作から登場するベルギー警察出身の名探偵エルキュール・ポワロも美食家である。
彼に難事件の解決を依頼したのは、貴族階級や富裕階層たちである。ポワロが依頼者と邂逅(かいこう)する場面は、通例、ロンドンの超高級ホテルか由緒ある著名な屋敷の食堂である。確かに我々には初めての名前の豪華な食事であるが、「レシピ」が分かりやすく、「家庭で手軽につくられる」と書かれていて、思わずやってみようかなという気になる読者がいるかもしれない。
ところで、本書の序文に「食べ物が時には殺人の凶器になる」と述べている。実は、第2次世界大戦期、クリスティーは薬剤師助手として薬局勤務などで蓄積した薬品の知見を活用し、デビュー作を嚆矢(こうし)として、20冊を超える「毒殺」のプロットを考案したと言われている。つまり、食べ物や飲み物に秘(ひそ)かに青酸カリ、精神安定剤、殺虫剤、モルヒネを盛って「毒殺」するのだ。
となると、「ミステリーの女王」の殺し方がいささか稚拙な感じがするが、11回も暗殺を仕掛けられたヒトラーも即効性のある時限爆弾であり、またチャーチルに差し出された板チョコレートも小型時限爆弾が仕掛けられていたが、すべて未遂で終わったことからも、「毒殺」の方が有効的だったのだろう。
(富原まさ江訳)
評論家・阿久根利具
原書房 定価2530円