トップ文化書評『私の同行二人』黛まどか著「生きることは、歩くこと」【書評】

『私の同行二人』黛まどか著「生きることは、歩くこと」【書評】

『私の同行二人』 黛まどか著  新潮新書 定価1078円

2017年の初遍路の時から、著者は生涯3度の遍路を決めていたという。父のため、母のため、そして自分のため。四国だけでなく、スペインのサンティアゴ巡礼道800㌔、韓国のプサン―ソウル500㌔、熊野古道も歩き、しばらく歩かないと、そわそわと体の芯が定まらなくなるという。「生きることは、歩くこと」なのである。今回は八十八霊場に加え別格二十霊場も巡拝し、その距離1600㌔。

四国が山岳信仰の場になったのは7世紀後半、修験道の祖・役小角(えんのおづぬ)が石鎚山(いしづちさん)で修行したのに始まる。法相宗(ほっそうしゅう)の行基が続き、やがて海辺や山岳で修行する修験者が現れた。その一人が空海で、当時、座学に加え、山に入るのは若い修行僧の常識だったという。縄文時代からの日本人の心性がそうさせたのであろう。面白いのは、多くの外国人と出会い、共に歩き、悩みを打ち明け合っていること。遍路の世界性を感じさせる。

今回は3年前に亡くなった俳人の父の供養のため。母ががんになり、介護をしていたが、「私は大丈夫だから」と背中を押された。不思議なのは、葬儀の後、著者と母の前に小さなクモが現れるようになったことで、遺影の胸にいたのを著者が発見したのが始まり。父がクモに姿を変え、「ここにいるよ」と呼び掛けているように感じたという。旅先でも、クモは頻繁に現れた。「あとさきに濃き風ついて秋遍路」は父執(しゅう)氏の句。「今生の月を見ている背中かな」と著者は詠む。句が命を超え、命をつないでいる。

道を間違え、落ち葉を踏みしめ歩くうちに、「足の裏が落ち葉と一体となり…、私を覆っている膜が?がれ、山の気と溶け合っていく」とつづる。それが「同行二人」で、大自然の象徴である大日如来と一つになった空海による「救い」なのだろう。日常生活でもそれは可能なのではないか、と思う。

多田則明

 新潮新書 定価1078円

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