
文芸誌『群像』に短歌を扱った連載「群像短歌部」がある。その第1回から第12回までを収録してできた本だ。テーマを第1回は選者の著者が決め、第2回以降は編集部が決めて投稿を募集し、その中から選んだ作品について論評している。
著者によれば採用歌の何がすごいかを言語化するとともに、著者も同じテーマで歌を作り、発想、推敲(すいこう)、完成までの過程を紹介している。
読んでみると、形式は同じだが、これまで存在してきた短歌の在り方と何かが違うのを感じさせる。テレビのコマーシャルに使われるドラマや、広告のキャッチコピーに近い感じがするからだ。
歌の数々は明るくさわやかで、機知に富んでいるが、かつて歌人たちが詠んできた人生の手応えや懐疑やその重さ暗さは浄化され、面白く、ユーモラスで、軽やか。現代の若者文化を象徴しているかのようだ。
著者の経歴もユニークだ。1988年山口県に生まれ、コピーライターを目指したがその道には行かず、穂村弘氏の歌集に出会って2011年、歌を作り始めた。翌年、現代歌人協会の全国短歌大会で大会賞を受賞。現代ならではの登場の仕方だ。
「群れ」というテーマの応募作にこんな歌がある。「ひとのなみ あるきづらいとかんじつつ そのなみのいってきはわたしだ/新井」。”ひとのなみ“は邪魔だが、わたしもそれを構成する”いってき“と気付くとき、主観ではなく俯瞰(ふかん)する時、心が幾分潤うかもしれない、と評する。
「群れ」のテーマで著者が作った歌。「はなびらに殺到されてまたひとつ桃色に干上がる水たまり/木下龍也」。ここに至るまで作った歌は7首。その変遷過程を示し、言語が、自分の感覚とズレが少なく、読者にも似た感覚が伝わるようにと、推敲していったという。
キャッチコピー風短歌といえようか。他人も自分も傷つけない言語の工夫には、苦心の程があるようだ。
増子耕一
講談社 定価1760円